Up 『旧土人保護法』改正を課題に 作成: 2017-02-14
更新: 2017-02-14


      喜多章明「旭明社五十年史 : えぞ民族社団」(1967)
    『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.106-173.
    p.117
     天地開闢の昔より、天然資源に依存し、山に猟し河海に漁り原始生活を送り来り、而も固有の文字を有せず、言語、風俗、習慣の一切を異にする原始民族を、激変せる明治初頭の経済社会の潮流に投入し、本州移民の中に伍して生活せしめんとするには、尋常一様の業ではなかった。
     明治政府の開拓使は、こうした実態に鑑み、旧土人対策の根本施策として、漁猟遊牧の生活を転じて農耕の民たらしめんと欲し、道内各地に農耕授産場を設置し、食糧、農具、種子等を官給し、農事指導員を派遣して大いに農耕授産の勧農政策を実施した。 この政策は明治十五年に後を継いだ三県 (札幌、画館、根室) 当局は勿論、明治十九年に生れた北海道庁もこれを踏襲した。
    p.127
     明治政府の開拓使庁が旧土入勧農政策の大(はた)を振かざし、土人族をして農耕一偏倒に集中せしめた所以のものは、当時の実情として当然の施策であった
    即ち政治経済の激変期に直面し、世の文化に立遅れ、言語、風俗、習慣、生活様式の一切を異にせる一万七千の先住土民を救済せんとする応急の措置であったのだ。
    土人として生れたものは農耕一偏倒に釘づけせしむると言う趣旨では毛頭なかった。
    pp.117,118
     明治三十二年に制定された北海道旧土人保護法は、以上の開拓使以来執り来れる旧土人保護政策の既成事業を法文化したものに過ぎない。
     以上の土地は相続によるの外譲渡を禁じ、質権、抵当権、地上権、永小作権等を設定することを許きず、専ら旧土人族をして使用耕作せしめてその生活の安定を図らんとするにあったのであるが、惜しむらくは本法の盲点として土地の賃貸借の一項を洩らしていたために、不正和人に乗ぜられて、二束三文の賃貸料で長期に亘る賃貸借が結ばれ、土地の耕作権は和人の掌中に握られ、賃借和人はこれを利鞘を取って他に転貸し、一躍巨万の富を摑み、金紋の車に乗って横行するに反し、地主たる土人は襤褸を纏い、山菜を背負って巷をさ迷うと言う奇体な現象を呈するに至った。
    ‥‥‥
     勧農政策の本旨は旧土人族をして未来永劫に農牧の民として従事せしめんとするにあらずして、要するに幕末廃藩置県の政変、並に本道としては、拓殖政策の積極的推進に伴う経済界の変遷、対和人 (新移住の本州人) 間の文化の隔差に因由して生活難に陥れる非文化民族旧土人を救済せんとする応急保護施策であった
    非文化民族と言っても先天的に低劣を意味するものではなく、先天的素質は優秀であるが、要するに松前藩政五百年に亘る隔離政策、非同化政策によって、時の流れより夥しく立遅れていたことに外ならない。
    pp.134,135
     以上の法律に対し、改正せんとする要旨は、
     一、 現行法の勧農主義一辺倒の保護政策より脱皮して、広く商工漁業に従事する者に対しても、助成融資の途を開くこと。
     二、 法第一条の下付地に対する譲渡制限を緩和し、道庁長官の許可を条件として所有権の移転並に物権設定の途を開くこと。
     三、 家庭の貧困のために、向学の志空しく葬り去られつつある天才的子弟に対し、奨学資金を給与し、育英に努むること。
     四、 貧困のため不良住宅に居住する者に対しては、八割の国庫補助を与えて、改善せしむること。計画目標としては、昭和十二年より十五ヶ年に、千八百戸を改築する予定であった。
     五、 同化政策促進の観点より、国立土人小学校を廃止し、児童は一般小学校に収容すること。
     六、 旧土人保護のため必要あるときは、国費を以て適当なる保護施設を為し又は施設する者に対し、助成の途を開くこと。
     七、 国立旧土人小学校廃止により浮ぴ来る経費を以て、改正保護法施行に要する経費に充当すること。
    等であった。