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喜多章明「旭明社五十年史 : えぞ民族社団」(1967)
『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.106-173.
pp.135-137
旭明社は以上の案件 [『旧土人保護法』改正の案件] を具して、先ず道庁の主管部長たる学務部長岩本俊郷氏に提出した。
然し乍ら事が法律の改正ともなれば、道庁でもおいそれと腰を揚げる訳がなく、殊に旧土人小学校廃止の件は、学務課の同調を得なければならないが、学務課では各々縄張を固執して譲らず、主管課の社会課と学務課との間で甲論乙駁の論争が行われたが、いつもいつも物別れとなり、一向に話が軌道に載って来ない。
そこへ主管課の竹谷源太郎社会課長が「提唱者は十勝旧土人のみの要請であるが、此の問題は全道旧土人の問題であるから、全道内部落旧土人代表者の意見を聴かなければならぬ」と言い出した。
そこで昭和五年七月十八日旭明社主催の下に札幌市北一条西十八丁目堯祐幼稚園に、全道旧土人の代表者を召集し「旧土人大会」を開催した。
集まった全道の代表者は百三十名、勿論反対を唱うる者がある筈がなく、改正法律案を提げて当局に要請することを全員一致で決議した。
然して大会は今後此の運動を促進する必要上、運動母体を結成することになり、直に全道ウタリを網羅したる「北海道アイヌ協会」を結成すべく議題に供し、万場拍手のうちに本協会は誕生した。
(今の「北海道ウタリ協会」の前身)
設立当初の役員は次の通りであった。
会長 喜多章明
副会長 十勝 吉田菊太郎
〃 振胆 向井山雄
〃 〃 佐茂菊蔵
〃 日高 貝沢善助
〃 十勝 伏根弘三
〃 北見 丸山武雄
かくして我が十勝旭明社は全道のウタリ同族の主導権を握り、北海道アイヌ協会と提携して改正法案の推進に突進することになった。
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