Up 「遅れている」からスタート 作成: 2017-02-17
更新: 2017-02-17


    同化派"アイヌ" は,つぎの考え方を択る者である:
      《 シャモがアイヌを侮蔑するのは,アイヌが遅れているからだ。
    シャモに追いつき追い越せ。》
    「追いつく」は「同化」であるから,本論考は「同化派」と呼んでいるわけである。

      貝澤藤蔵『アイヌの叫ぴ』, 1931
    小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, pp.373-389.
    pp.377,378
     今日新聞を読み雑誌を見る我々アイヌ青年に最も不快の念を抱かしむるものは、我々に嘲笑的侮蔑的な代名詞の冠せられて居る事であります。
    敗残の群──滅び行く民族──生存競争の落伍者──、何と惨めな何と痛々しい代名詞ではありませんか。
    私は此語を聞き、新聞や雑誌に此語を見る度に、悲憤の涙がこぼれます。
    先住の地を自由に侵掠せられ、優先に得らるべき数々の権利を占取せられ乍ら、無学なるが故に袖手傍観し最後に嘲笑せらるゝアイヌ民族こそ哀れなものです。
    若し我等の祖先の中に自己の生命は永遠に続くべきものである、其未来の生命の為より善き今日を建設して置かう、と云ふ様な考を持った一賢人が居ったなら、確に自分等は今日此様な境遇に置かれて居ないだらうと思ひます。
    けれど此様な愚痴は言ひますまい
    浴びせられる嘲笑に向って奮然と起たう。
    激しき社会の生存競争場裡に一丸となって飛び込み、精限り魂限り働き、今後十年二十年後猶ほ且此の旧態を脱し得ない場合にこそ、如何なる嘲笑、如何なる侮蔑的代名詞でも甘んじて受けやう。


    同化派"アイヌ" は,アイヌを「遅れている」と定めるところから,考えを進める。
    翻って,同化派"アイヌ" は,「遅れている」の意味を思考停止する者である。

    同化派"アイヌ" は,シャモに追いついたところで,消える。
    一方,同化派"アイヌ" が残した<「遅れている」の意味に対する思考停止>は,反動を呼ぶことになる。
    その反動は,1960年代半ば頃から新左翼思潮に乗って現れる。
    即ち,保護派"アイヌ" である。( 『保護派"アイヌ" 期』)