Up 思考様式の同化──「教育」 作成: 2017-02-18
更新: 2017-02-18


      武隈徳三郎『アイヌ物語』, 1918
    小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』. pp.351-372.
    p.358
    アイヌは多く不良なる和人に接触したれば、終に和人に対し、概して猜疑心を抱くに至れり。
    ‥‥‥
     只彼等の最も信じて敬ふは其の部落の小学校教職者なり。
    彼等は斯の知き信念を有せり。
    「天下広しと雖も真実に味方し、最も懇切に指導を与ふるは先生の外なし」と。
    之れに依りても、教育の力の如何に偉大にして侵すべからざるものなるかを、今更ながらしみじみと感ぜらるゝなり。

    p.358
     土人を和人より隔離して一定の地方に集団せしむるは、土人保護上適当なる方法ならんとの説あり。
    之れにつきて識者間に是非の議論ありと聞けり。
     現今のアイヌは日本帝国の臣民たることを自覚せり。
    其の進歩せる者に至りては、君に忠を致し国に恩を報いんとの精神は溢るゝばかりにして、敢て和人に引けをとるが如きこと無きは、爰に断言して憚からざる所なり。
    ()して和人との接触に慣れ、周囲の事情に漸く打ち勝つことを得つゝある折柄、決して和人と離隔する要を認めず。
    否、土人をして和人に同化し、立派なる日本国民たらしむるこそ、アイヌの本懐なれ。
    又国家より見るも、之れが至当のことならん。

    pp.370-371
     一般教育として
    一、 家庭の悪風習を矯正し、子弟教育に関する注意を喚起せしむべし。
    二、 男子の飲酒の常習を絶対的に禁ずるか又は節せしむべし。
    蓋しアイヌ人口の漸減は、アルコール中毒に因ること多きのみならず暴飲は彼等を堕落せしむる第一歩なればなり。
    三、 アイヌの精神の遅緩せるは事実なり。
    故に之れが緊張をはかり向上発展せしめ、有為なる国民と為さんには、青年会を組織し之れを中心として勇壮なる撃剣等を行はしむべし。
    又戦役、忠勇立志並に農業等に関する書籍を備へ、彼等をして自発的に勉学せしむることも亦大に必要なり。
    四、 従来一般の人は、アイヌに対し(やや)もすれば「アイヌだから」の言を使用せり。
    此はアイヌの感情を害し、相互の誤解を招く基なれば、之れを廃し、土人をして、自ら「アイヌだもの」の念を起さしめざるを要す。
    五、 アイヌの和人に接触して、最も嫌忌せられる一原因は衛生思想の乏しきに依る。
    之れを指導改善すること肝要なり。
    六、 アイヌは旧土人保護法に依り、土地を支給せらるゝ等恩典に浴するも、其の生活は未だ良好の域に達せず。
    「衣食足りて礼節を知る」との格言あれば、彼等の活計を根本的に改善すべし、衣食足るに至らば教育も、とみに挙るべし。
    七、 旧土人の進歩発展を()ぐ大なる原因は依頼心の強きにあり。
    此の原因に付きては、或は歴史的なりと云ひ、或は保護法の保護の厚きに因ると論ずる者あれども、筆者は歴史的は別として保護法に因るとは信ぜず。
    何となれば、同法実施以前より生じたるものなればなり。
    其の最大原因としては、彼らに文字無く、現今にても無学なる者多きに因す。
    何事を行ふにも決断力に乏しきも、之れがため、社会の事に暗く、自己の行はんとすることは正当なりや否や危み迷ひ、遂には和人に依頼するに至りしものなり。
    されば之れが矯正方法としては、彼等の子弟を十分に教育し、特に実社会に必要なる知識を授くること肝要なり。

    p.371
    児童教育としては、
    一、 特別教育規定に依り、入学々齢満六歳を満七歳に、修業年限六ヶ年を四学年に改められしは先きに述べし如く、旧土人生活状態を斟酌せしものならんも、児童教育を完全ならしむる上に於て遺憾に堪へず。
    人の幼時に於ける感化は実に強大なること言を俟たず。
    されば幼時長き間、徒らに家庭に放置するは害ありて益なし。
    満六歳より学校に入りて善き教育を受けしむるを可とす。
    又修業僅か四ヶ年にては、十分なる教育を施すこと能はざるは明かなり。
    土人をして、向上発展せしめんと欲せば、現在の生活を改善すると共に、其の子弟の学齢並に修業年限を旧に復する必要あるべし。
    二、 和人土人の児童をして、相互に了解会得して同情の念を起さしむべし。
    小学読本巻十「第二十二課あいぬの風俗」は、之れを省きて、更に適当なるものを加へられんことを望む。
    三、 旧土人小学校を優等にて卒業し、進んで中等学校に入らんと欲するものには、保護費又は旧土人共有財産の収益を以て、奨励的に入学せしむ可し。
    四、 旧土人小学校の経費を増して、之れが経営に遺憾なからしむべし。
    余り多く国家に依頼して御迷惑を掛くるは、善き事にあらざれども、アイヌの境遇にては、是れ亦止むを得ざるものなり。