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森竹竹市「ウタリーへの一考察」『北海道社会事業』, 第28号, 1934.
小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, pp.400-402
近頃若いウタリーから──保護法を廃せ──と云ふ叫ぴを聞かされますが私も其れには双手を揚げて賛成する一人であります──保護民族──此の一語こそ若いウタリーの気を滅入らせ、品位を傷つけ清純な童心を、へし曲げるものである事を思ふ時 一日も早く此の境遇から脱したいと思ひます。
けれど之は時代に目覚めた一部若いウタリーだけの希望であって 実際多くのウタリーの日常生活を考へた時 保護法を即時撤廃せよとは残念乍ら言ひ得ないのであります。
故に此の際我々の要求としては保護法の改廃を行ひ、存続すべき法も恒久性のものとせず其の廃止時季を今後十年乃至十五年後として明示し、断然ウタリーの一大自覚を促がされん事であります。
不時の災厄に備ふるに一銭の貯蓄なく共治療に事欠かず、貧困の場合には農具や種子を無料で貰へる様な保護施設も最初の中こそ真に恐縮な事である、申し訳ない事であると思ふけれど 慣れるに従って貰ふ事が当然の様に考へて来るものです。
要するに物質的保護はウタリーの自力更生精神を阻害し勤倹貯蓄心を欠去し、遊惰性に導くものであると断言しても過言では無いのであります。
「窮すれば通ず」で、人間一度斯うしなければ絶対駄目だと思った時必ず其処に自分の活路を見出すべきものであり、依頼心は其の人を退嬰的にし、卑屈ならしむるもの<であります。
思ふて此処に至れば保護法存否の是非を深く考へさせられます。
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