Up アイヌの漁猟採集生活の実際──半商品経済 : 要旨 作成: 2016-05-16
更新: 2016-05-17


    アイヌは,商品経済に吸収されて,終焉となる。
    「アイヌ」という生き方は,商品経済と両立しない。

    「アイヌが商品経済に吸収される」の内容は,つぎの二つである:
    1. アイヌの<商品生産者>化
    2. アイヌの<被雇用者>化


    アイヌと商品経済の関係は,古い。
    アイヌは,古くから,狩猟・採集したもので交易することをやっている。
    その狩猟・採集は,商品にしようとするものの狩猟・採集である。
    アイヌの生活を自給自足で閉じているもの (「自然との共生」) のようにイメージするのは,間違いである。

    「被雇用」という生業の形も,早くから現れる。
    「アイヌ」イデオロギーが「使役」と言っているところは,「雇用」である。
    その「使役」は,「場所請負制」の記述のところで出てくる。

    「雇用」の対立概念は,「強制連行・強制労働」である。
    両者の違いは,「合意・契約」の有無である。
    「アイヌ」イデオロギーが「使役」のことばを用いるのは,「強制」「虐待」のイメージを与えたいからである。

     註 : イデオロギーは,政治闘争である。
    闘いであるから,勝利のために用いる手法はすべて正当化される。
    「雇用」を「使役」に言い換えるのも,手法である。
    イデオロギーを用いる者が卑怯者に見えるのは,このためである。
    イデオロギー批判は,この卑怯に対する反発である。

    科学は,<卑怯への反発>とは無縁である。
    生態として,卑怯を主題化するのみである。
    生態学はカッコウの「托卵」を卑怯としてこれに反発するようなことはしないが,これと同じである。


    アイヌの商品生産者化・被雇用者化の流れを決定的にしたものは,土地所有制度の導入である。
    商品経済は,商品経済に必要な制度をつくらせる。
    このなかに土地所有の制度がある。

    土地所有制度の核心は,「土地利用」と「土地所有」の一致である。
    アイヌの土地は,<自由に狩猟・採集できるところ>ということになるが,商品経済の「土地所有」の概念では,これは「めちゃくちゃ広い土地の占有」になる。

    そこで,土地所有制度の導入は,<自由に狩猟・採集できるところ>の召し上げになる。
    <自由に狩猟・採集できるところ>は,既に官有地になっていたので,召し上げは造作ないものになる。
    一旦召し上げ,そしてアイヌの私有地を定めるという手順になる。

    アイヌの生活型への配慮ないし懐柔の考えから,アイヌに配分する土地を特例的に広くしようとしても,これまでの狩猟・採集は成り立たないものになる。
    ここに,「保護法」(『北海道旧土人保護法』) の登場となるわけである。

    こうして結局は,生業の転換を進めることが,施策の方向になっていく。
    アイヌの選択肢は,賃金労働者になるか,農業をやるか,その他生産者をやるか,である。
    いずれにしても,商品経済で生かされる者になるということである。
    こうして,アイヌの終焉となる。


    この経緯の中に,「過酷・虐待」が現れる。
    「アイヌ」イデオロギーは,これを「差別」に回収する。

    「過酷・虐待」は,商品経済のダイナミクスの話である。
    「過酷・虐待」の話なら,和人の世界も同様である。
    「奉公」「女工哀史」「蛸部屋」「人買い」「おしん」は,「差別」の話ではない。
    本州から移住の北海道開拓民は,辛酸を舐め,行政に騙された格好になったが,これは「差別」の話ではない。

    この内容に対して生態学/科学が主題化するものは,「過酷・虐待」を「差別」に回収するイデオロギーのダイナミクスである。

    「過酷・虐待」を「差別」に回収するのは,「過酷・虐待」を「差別」に回収したいからである。
    なぜ「過酷・虐待」を「差別」に回収したいのか。
    「過酷・虐待」を「差別」に回収することで得られる展開として,期するものがあるからである。
    その期するものは,政治運動・政治闘争である。

    実際,「アイヌ」イデオロギーは,アイヌ法を引き出すことに成功し,手当を引き出すことに成功した。
    そして,この成果は,さらにつぎの展開 (法・手当の積み上げ) の土台に使えるわけである。