Up | 漁猟採集生活不能=アイヌ終焉 : 要旨 | 作成: 2016-07-05 更新: 2016-07-05 |
昔あったものがいまはもう無いことを,ひとは「時代の変化」として諦め,受け入れる。 昔あったものがいまはもう無いのは,やめられたからである。 やめたのは,やめるしかなくなったからである。 これまでやってきたことが,新しいことの出現により続けていけないものになり,やめられたということである。 この「時代の変化」に対し,つぎのように訴える者がいたら,それはモンスターである:
「時代の変化」で無くなったものは,いまさら有ることができないからである。 いまさら有ることができないものを,保護によって有るようにせよと訴える思考回路は,モンスターである。 アイヌイデオロギーは,このモンスターである。 アイヌであるとは,アイヌの生業を営むということである。 その生業は,「狩猟採集」である。 アイヌの生業の地に,「開拓」が入ってくる。 「開拓」の方向は,北海道の体制が商品経済体制になることである。 商品経済体制は,私有制であり,私有でないものは存在しない。 こうして,「狩猟採集」は,成り立たない生業になる。 そこで, 「開拓」行政は,アイヌ同化の事業を含むものになる。 つぎのように訴える者がいたら,それはモンスターである:
このモンスターは,物事の順番を取り違えているわけである。 従来型が滅びる状況になったから,セイフティーネット施策となる。 セイフティーネット施策が,従来型を滅ぼすのではない。 こうして,「狩猟採集生活の消滅」として,アイヌは消滅した。 そして,「狩猟採集生活が再び興ることはない」の意味で,アイヌが再び興ることはない。 狩猟採集生活を続けている者は,いないのである。 狩猟採集生活にいまから入ろうという者は,いないのである。 故に,アイヌイデオロギーの「アイヌ保護」「アイヌ解放」スローガンは,欺瞞である。 アイヌイデオロギーが「保護・解放」のスローガンを欺瞞と想わないのは,モンスターだからである。 アイヌイデオロギーがモンスターであることを,しっかり理解せよ。 この理解は,重要である。 物事には,これに応接するときの適切な形というものがある。 アイヌイデオロギーにも,適切な応接作法というものがある。 現前のアイヌイデオロギー批判は,応接作法を間違っている様である。 そこで,アイヌイデオロギーがモンスターであることを,ここで特段説いているわけである。 モンスターには,モンスター応接作法を以て応じる。 アイヌイデオロギーには,モンスター応接作法を以て応じる。 「作法」の心は,対象への「リスペクト」である。 現前のアイヌイデオロギー批判は,アイヌイデオロギーへのリスペクトを欠いている。 そこが,現前のアイヌイデオロギー批判のそもそもダメなところである。 |