Up 『アイヌの終焉』: はじめに 作成: 2016-07-13
更新: 2016-10-01


    アイヌは,滅亡して久しい。
    アイヌは,存在しない。

    これは,本来,改めて述べるほどのものではない。
    自明のことである。

    一方,これを改めて述べねばならない事情がある。
    アイヌが存在していることにする政治が行われているからである。
    その政治の内容は,《アイヌを手当する》である。


    アイヌ手当の政治は,アイヌ手当要求の政治運動に応じたものである。
    この運動主体が,アイヌイデオロギーである。

    アイヌ手当の要求は,アイヌがいて成り立つことである。
    ところが,アイヌはいない。
    アイヌ手当の要求は,構造的に,詐欺である。

    一方,この詐欺は,是非を言うことではない。
    アイヌ手当政治には,歴史的経緯がある。
    人の生態系は,この種の詐欺で成り立っている。


    詐欺は,<わからないで騙される>の場合に問題になるというものである。
    承知で騙される分には,問題はない。
    承知で騙される分には,詐欺は人の系の潤滑油である。

    一般者は,アイヌイデオロギーおよびアイヌ手当政治がほのめかす「アイヌがいる」に騙される。
    そこで,「アイヌは,存在しない」を改めて述べねばならない。
    「アイヌイデオロギー」の論は,<詐欺は人の系の潤滑油>のレベルにまで昇華しなければならない。
    こうして,「アイヌは,存在しない」の論からていねいに始めようということになる。


    「アイヌイデオロギー」の論づくりは,巷のアイヌイデオロギー批判が反面教師になる。
    アイヌイデオロギー批判は,殺伐として,よろしくない。
    殺伐となるのは,アイヌイデオロギーの事情というものへの理解がないためである。

    アイヌイデオロギーは,意気揚々と立っているものではない。
    ひどく苦しい(てい)で立っている。
    実際,「アイヌ」の捏造で,引っ込みがつかなくなっている。

    アイヌ手当で営む法人の経営陣は,自分の任期中に破綻が無いことを祈って仕事をしている。
    彼らは,破綻のババを先送りしているわけである。
    <やめられない戦争の大本営>と構造は同じである。

    ちなみに,<引っ込みがつかない>は,系のダイナミクスのいちばんの基本則である。
    物理学では,これを惰性 (慣性) と呼ぶ。


    「アイヌは,存在しない」を改めて押さえることには,もう一つ重要な意味がある。
    それは,「アイヌの復権」である。

    アイヌイデオロギーは,アイヌ手当を引き出すために,<惨めなアイヌ>の像づくり,<惨めなアイヌ>の歴史ストーリーづくりに,腐心する。
    そのストーリーは,《和人がアイヌを惨めにした》である。
    このストーリーは,《和人が来る前は,アイヌは幸せだった》でなければならない。
    実際,知里幸恵の『アイヌ神謡集』の序のことばをさかんに引いて,このイメージをつくるわけである。
    しかし,このイメージは,虚偽である。
    翻って,アイヌイデオロギーは,アイヌの実像を恥じている。
    ここに,「アイヌイデオロギーこそアイヌ差別者である」の命題が立つ。

    対象を知ることは,対象をリスペクトするようになることである。
    アイヌを知ることは,アイヌをリスペクトするようになることである。
    アイヌイデオロギーは,<アイヌを知る>を妨げる。
    そこで,アイヌの復権のために,アイヌイデオロギーを少しは叩いておくということも,やっておかねばならないわけである。