Up 給与地コタンの終焉 作成: 2017-02-14
更新: 2017-02-14


      喜多章明「旭明社五十年史 : えぞ民族社団」(1967)
    『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.106-173.
    p.140-
     終戦後政府は、食糧の増産を図るため農地改革法を制定した。 本法の施行に伴い、旧土人保議法第一条により、下付された所謂給与地中、賃貸せる部分はこれを買収し、これを賃借入に売渡されることになった。
    旭明社は逸速くこの問題を採り上げ、北海道アイヌ協会と相呼応して起ち上り、土人の給与地に対しては農革法を適用しないよう、北海道庁及農林省に対し、猛運動を展開することにした。

      喜多章明「旧土人保護法とともに五十年」
    『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』,1971, pp.367-436.
    p.412
     不在中空席になっていた十勝旭明社 (大正十一年設立) の社長の地位に復した。
    今後の運動を進める上において之を社団法人に改組し 一方昭和六年設立の北海道アイヌ協会は、日高の小川佐助君、浦河太郎吉君、胆振の森竹竹市君、森久吉君、伊達の向井山雄君等によって、これ又社団法人に改組 (現在のワタリ協会) し、向井山雄君を会長に据え、東西相呼応して戦端を切った。

      喜多章明「旭明社五十年史 : えぞ民族社団」(1967)
    『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.106-173.
    p.148
    この運動に敗れて以来旧土人達は給与地を失い、生活財源に追われるままに、他に職を求めて転出し、幸か不幸か漸次「異人種土人」の存在を潜め、一般社会人として、わけ隔てのない明るい世界へと歩みつつある。
    農革法の施行はウタリに対し、既往の集団生活基盤であった根城とも言うべき、「コタン」の壊崩と謂う一大衝撃を与えた。
     然し乍ら今更「葬式済んでの医者話し」を繰返して見ても、静御前ではないが、「静のおだまき繰返し、昔を今にするよしもない」。
    要はこの一大衝撃を契機として、往時の他力依存の「コタン根生」よりキツパリと脱皮し、堂々と一般社会の中に跳り込み、職業技術を身につけて、強く、正しく、生き抜くことにある。
    かくして「禍を転じて福と為す」これは若きウタリに課せられた責務であろう。