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喜多章明「旧土人保護法とともに五十年」
『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』, 1971, pp.367-436.
pp.432-435
明治維新、開道の繋明に際して飢餓線上にあったアイヌ族を救い、場所持制度、土人漁業組合を設置して業を授け、文字言語を教え、農事授産場を設置して、漁猟より農桑へと転換を図る等、過去百年にわたり、時の流れに従って、各その時点、時点において施策を講じ、今日の彼我水平線上に到達せしめた土人政策──保護法の成果は高く評価すべきであると信ずる。
なかんずく、保護法の根幹を為す勧農政策も成功であった。
もっとも狩猟民族の習性よりして自ら耕作せず和人の手に委ねた者も多分にあったにせよ、この給与地を所有するが故に一定の団地──コタンで同族水入らずの集団生活が営まれたし、これあるが故に金に窮すれば賃貸して生活の糧を求め、或は又質草として小使銭を得た。
世人或は「勧農政策は失敗」と批判するが私の見たところでは、給与地は同族の牙城であり、生活の源泉であった。
保護法がなかったとしたら、自ら土地を取得することは皆無と迄はいわないがおおむね裸一貫であったであろう。
農革法の旋風は,その牙城給与地の内、怠惰土人の所有する賃貸給与地の上に吹き荒れたのである。
農革法の旋風は給与地所有土人の勤務評定でもあった。
現在まで給与地を持ち続けている土人は、完全なる農家として、完全なる土地所有者として、刻印を押し得る仁士である。
譲渡制限が撤廃されようと、されまいとに、かかわりなく将来一般の社会人として独立独歩、堂々と生き抜かれるであろう。
‥‥‥
土人達は給与地を失い、生活に追われるまゝに、他に職を求めて転出し、一般の社会人として、わけ隔てのない明るい世界へと歩みつゝある。
既往多年にわたり旧土人の根城とされて来たコタン──同族のみの集団部落は農革の旋風によって脆くも潰え去った。
天二物を与えず。
農革の衝激によって、彼等は好むと好まざるにかかわらず、惰民の温床「コタン」を離れ、或は和人の侵入によって,一般人と混住するに至った。
しかして混住によって目立自営の精神を涵養する機会を与えた。
「転禍為福」、農革法によって一大犠牲を払ったがこの犠牲に代うる自立精神の昂揚を以てした。
アイヌ人の貧乏は物質貧乏にあらず、精神貧乏であった。
何事に対しても為さんとする精神、何事に対しても根強く努力する精神に欠けていた。
故に、物質にも恵まれず、社会の下層に沈淪するが故に社会の蔑視を受ける。
社会の蔑視を受けることは、あながち人種によるもののみとはいえない。
胆振の大河原コビナシトク氏の如きは、純粋のアイヌ人であったが、彼氏が出席しなければ村会が開けなかった。
それは彼氏が財力において、経世経論の才において、社会人心の上に卓越していたからである。
いくら和人種だからといっても、落ぶれて乞食となればだれが敬意を払うものか。
憂うる勿れ。
農革によってアイヌ族最後の拠点、──コタンは崩壊したが、天は之が代償として同族の同化促進の機会を与えた。
‥‥‥
私は指導上の方針としてコタンの存在を好まなかった。
松前藩は蝦夷地、和人地の区域を定め、彼我の混住を禁じた。
コタンの存在はその区域を細分したようなものであった。
‥‥‥
終りに臨み、ウタリ諸氏に告ぐ、
(1) 先づ諸氏はアイヌ人という意識を去れ、
(2) 他力依存のコタン根性を洗脱せよ、
(3) みだりに民族自体を売物にするなかれ、
(4) 職業入、独立の社会人としての実力を涵養すべし、
(5) 一事貫行の努力と忍耐に打勝て、
(6) 人種差別を憂うる若者は、思い切って津軽海峡を渡れ。
一歩渡れば諸君が祖先の故郷。
同族県民の住む東北地方──。人種差別の影もない。
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ここで喜多章明を引用したのは,単刀直入でわかりやすからである。
ただし,この単刀直入は,保護派"アイヌ" が反発するタイプの「単刀直入」である。
──実際,言っているのが喜多章明でなければ,「アイヌ差別だ!」を唱えるところである。
そこで,上の引用は,補足として,喜多章明と保護派"アイヌ" についての説明が要る。
主題から外れることになるが,以下この「説明」を付す。
喜多章明は,機能主義の者である。
アイヌ終焉の事態に対し,「生計的自立」の理念の体現者の趣で,行動した者である。
この喜多章明にとって,農革法の旋風は,「転禍為福」(今日の言い方は,「ピンチをチャンスに」) になる。
「生計的自立」の形は「和人との混住」であり,「和人との混住」は「惰民の温床コタンを離れる」であり,そして「惰民の温床コタンを離れる」は,「いやおうなく」「好むと好まざるにかかわらず」の相でしか起こらない。
この「いやおうなく」「好むと好まざるにかかわらず」が,「農地改革」によってもたらされた。──というわけである。
「喜多章明」は,保護派"アイヌ" 否定の論である。
したがって,「喜多章明」は,保護派"アイヌ" が否定せねばならないものである。
この場合,「機能性・生計的自立」の土俵では,否定できない。
「機能性・生計的自立」の土俵では,「喜多章明」は正しいからである。
また,「機能性・生計的自立」の土俵に上らないということも,できない。
なぜなら,自分は日々「機能性・生計的自立」を生きている者だからである。
こうして,保護派"アイヌ" は,「喜多章明」を否定できない。
実際,保護派"アイヌ" が「喜多章明」に対して言えるのは,「嫌い!」である。
保護派"アイヌ" は,つぎの精神構造の者である:
これは,《「自分」のアイデンティティーを「家系/ルーツ」に求める》の類である。
いまの時代に「仙台藩士の家系だから,自分は武士だ」を言う者がもしいたら,保護派"アイヌ" はこれを同じである。
「自分」のアイデンティティーを「家系/ルーツ」に求める者は,そのような自分を否定する概念を嫌う。
こうして,「喜多章明」は,保護派"アイヌ" が嫌わねばならないものである。
ちなみに,「喜多章明」に対する批判の仕方──科学を立場とする批判の仕方──は,つぎのものである:
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重力の法則に従って物が落ちるのに,「禍福」は無い──単に「現成」である。
給与地コタンの終焉がもたらす「一般の社会人として独立独歩」に,「禍福」は無い──単に「現成」である。》
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喜多章明は,<重力法則の表現者>である。
ただし,「転禍為福」「精神貧乏」を言うとき,<重力法則の表現者>を逸脱し,間違っている。
実際,「転禍為福」「精神貧乏」は,ルールで違ってくる。
ひとが生活のルールにしているものは,ひとによって違う。
「禍福」はひとそれぞれであり,そして一人においても場合場合で違ってくる。
集団の「禍福」など,言えない道理である。
アイヌの「精神貧乏」は,ルールが<漁猟採集で自給>から<商品経済>に変えられたためである。
ルールを<漁猟採集で自給>にしたら,今度は現代人が「精神貧乏」の者になる。
「精神貧乏」の如何など,言えない道理である。
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