"アイヌ" 活動家は,運動に対し潔癖性である。
彼らは,「アイヌ協会」の立ち位置──道庁主導──に不満・不安を感じることになる。
高橋真の『アイヌ新聞』(1946-1947) は,直接的な表現こそさほどないものの,「アイヌ協会」と道庁の関係,アイヌ活動家間の確執がよく読み取れるものになっている:
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高橋真『アイヌ新聞』
小川正人・山田 伸一 (編)『アイヌ民族近代の記録』, pp.249,250.
創刊号 1946-03-01
"アイヌ協会" 創立
ウタリーの先覚者向井山雄、森竹竹市、鹿戸才登の諸氏を中心に、道庁の音頭取りで『社団法人アイヌ協会』設立の準備が進められてゐたが二月二十四日予定の如く静内町で道庁池田嘱託外同族多数出席の下に創立総会が開催された。
第二号 1946-03-11
アイヌ協会の役員と予算
本紙第一号所載の如く二月二十四日静内町で「教育の高度化」及び福利厚生施設の協同化、共有財産の造成及其効果的運用、農事の改良、漁業の開発等を目標に「社団法人北海道アイヌ協会」が誕生したが 三月三日これが許可申請書を小川佐助氏によって留岡道庁長官に提出された。
役員及予算左の通り。
理事長 向井山雄(伊達)、
副理事長 吉田菊太郎(十勝)、鹿戸才斗(門別)、
常務理事 小川佐助(浦河)、
理事 文字常太郎(大岸)、森久吉(登別)、去間弁次郎(様似)、江賀寅三(静内)、淵瀬惣太郎(新冠)、貫塩喜蔵(白糠)、川村兼登(近文)、幌村運三(三石)、清川正七(平取)、知里高央(登別)、門別喜門(門別)、
監事(常任) 森竹竹市(白老)、辺泥和郎(鵡川)、平村勝雄(平取)、
参与 知里真志保(登別)、大川原コビサントク(鵡川)、
顧問 斉藤忠雄、坂東秀太郎、渡利強
予算は会員二千余名より徴収の一万円と篤志寄附一万九千二百円 計二万九千二百円とし、事業費、人件費、事務費、教育費、機関誌発行費等に使用される。
以上
道庁長官閣下に一言献上す「御用協会」をつくりアイヌの騒ぐのを「防止するか」なあ‥‥なんぞと考へるのはもう旧い手ですゾ!
第三号 1946-04-01
「アイヌ協会は御用協会だ」「いや選挙目的だ」と噂とりどりであったが、同協会の幹事森竹竹市氏は否定してゐるし、氏の情熱を生かして愈よ活潑化させるといふが、一個人の独善主義化させたり、その一族のみの利用機関たらしむる勿れ。
全アイヌの為の協会たれと希って止まぬ。
第五号 1946-05-15.
『アイヌプリ』発行
アイヌ協会文化部では機関紙『アイヌプリ』を五月から発行する事となり論説、随筆、文芸、伝説、地名、其の他の原稿をウタリーから募集してゐるが締切は毎月七日で、宛名は勇払郡鵡川村汐見辺泥和郎氏
日高の御料牧場をアイヌに開放すべしとアイヌ協会が立起った。
神から人に御成りの天皇が果してアイヌの声を聞くや否や全く不明だが、もともとアイヌのものであったのだから天皇が人なら聞く筈である。
第六号 1946-06-11.
アイヌ協会への期待
吾々北海道一万七千アイヌの福利向上を目指して 社団法人アイヌ協会は注目に価する活潑な動きを示してゐる。
協会組織の中心となった小川佐助、森竹竹市等の功は大いに賞揚すべきで、日高、胆振、十勝、釧路に支部の生れた事は一応アイヌの団結を物語るものなりと称して過言でない。
然し乍ら事実は決して然らずして 樺太アイヌ川村三郎が「アイヌ平和聯盟」の設立に拍車を加へる一方、名寄生れと称する川本某なる青年は、アイヌ青年同盟の組織化を企てつゝあるのは、といふのはアイヌの鉄の団結と称するには尚早なりといふ感が深いのである。
またアイヌ協会の役員は、例へ其の一部分とは云へ、過去に於て同族を喰物にした所謂民主主義化への害となるべき、強ひて論ずるなら遠慮すべき人物のゐる事は誠に遺憾であると会員自体から警戒と非難の声を注がれつゝあるのは 遺憾事と云はねばならぬ。
アイヌ協会の発足は、アイヌが和人への反抗態度を表現化させる為で、御料牧場開放を叫ぶ事も、アイヌが天皇制への反感を示すものであり、顧問に手代木、坂東等を選んでゐるのは 一方的に論ずるならば協会役員が之等の者と結託し巨利を得んとする、所調利権屋の手先なりと称する者もあるが、これは何れもあたらず、大なる誤評以外の何物でもない筈である。
協会発足当初の一般の声は「御用協会」なりといふ声が昂かった。
亦選挙母体とも称された。
また役員の個人的生活への非難をも協会に向けられた。
がアイヌが真に民主化するために役員も反省しなければならぬが、協会を中心としてアイヌが力づよく進む事を期待し得る。
御料牧場開放運動 アイヌ協会の活躍
アイヌ同族の生活安定のため日高種馬牧場や新冠御料牧場を開放して欲しいと、アイヌ協会常務理事小川佐助、理事文字常太郎、常任幹事森竹竹市、会員荒井源次郎、高橋真の諸氏は、五月十八日増田道庁長官と会見、新冠御料牧場の全面的解放に際し四万町歩をアイヌ三千五百戸に対し下附されたき旨を陳情した。之に対し長官は誠意ある回答を与へた外、アイヌ協会の顧問を受諾した。(五月二十日付道新参照)
代表一行上京奮斗
(東京発) 社団法人北海道アイヌ協会小川常務、文字、森両理事は、同協会手代木顧問に案内され、五月三十一日午前十時十分、内務省に鈴木主殿頭を訪ね、アイヌの悲惨な生活を訴へ、新冠御料牧場をアイヌに農耕地として開放されたいと陳情した。
鈴木主殿頭から、「御料地は目下凍結中であり、宮内省としては具体的な回答を与へられないが、政府に取次ぐ旨」を約され、一行は十一時半農林省に向った。
小川氏道会に立つか?
アイヌ協会の常務理事として自分の仕事をすて、東奔西走の小川佐助氏を来るべき道会改選に日高管内から立候補させようとの話が地元ウタリーに進められてゐる、
これで道議への噂のアイヌは五名となった。
協会の機関誌
アイヌ協会の機関誌は都合で七月に創刊号を出す。
編輯者は知里真志保、辺泥和郎、高橋真の文化部員だが、ぞくぞく投稿を希望してゐる。
アイヌ根性の矯正 吉田菊太郎氏提唱
全道アイヌの先覚者として尊敬されてゐる吉田菊太郎氏は、六月五日芽室ウタリーに対し「アイヌが本当に立派になる事、それは先づ個人の完成であり、人格者となる為には人をねたむやうな所謂アイヌ根性を速かに矯正せねばアイヌ協会が出来た、団結したと称しても何にもならぬ」と強調した。
アイヌ協会役員 早くも "改選" の声
アイヌ協会役員中には所謂官僚的におしつけられて選任され已むなく就任した者もあり 此の為に役員間にも意見の一致を見ざる事もあり 速かに代議員会を開催し役員改選を行ふべきであるとの声が昂ってゐる。
一方協会事務所の道庁外への移転や専任書記設置の要望も見逃せぬものがある。
アイヌ新聞に寄せる言葉
▽ 今までアイヌ問題研究所で出してゐた新聞に代って「アイヌ新聞」が生れた事は心から祝福したい。
今までの新聞はみんなでむさぼる様に一字残さず読んだ。
どうかよりよく正しい報道に主力を注ぎ、ウタリーの啓蒙機関とさせて下さい。
(胆振 知里真志保)
▽ アイヌ新聞社創立の事、吾々は無条件で賛成し、期待します。
コタンでは特に若い者達が「まだアイヌ新聞来ないか」と首を長くしてゐる程にみんな待ってゐます。
(春採 山本多助)
▽ アイヌ協会の機関誌の姉妹紙として「アイヌ新聞」は中正な報道と、アイヌの親睦機関として発展する事を心から祈ってゐる。
(胆振 森竹竹市)
▽ アイヌ新聞を普通新聞の様に印刷させ、大きくして発行させたい。
そしてアイヌの本当の言論機関、連絡の為の報知機関として進ますべきで、此の為にもウタリーは大いに協力してやるべきである。
(十勝 吉田菊太郎)
▽ アイヌ新聞の発展の為に読者の確保が必要で、吾々から購読料を集める事を中心に普及に拍車を加へるべきであると思ふ。
合せて全道各コタン各戸に配達出来る事を切望して居ります。
(旭川 荒井源次郎)
第七号 1946-07-01.
小川氏一行の消息
アイヌ協会常務小川佐助氏等一行は五月二十六日上京後宮内省其他に御料牧場をアイヌに開放方を陳情し活躍してゐる事は既報の知くであるが、其の後の消息は道庁厚生課内のアイヌ協会本部にもアイヌ新聞社にも全然連絡なく不明であり本部では非常に心配してゐる。
連絡を密にする事
道庁厚生課でアイヌ保ゴ関係の事務を取扱ってゐる池田和美氏は老躯に鞭打ってウタリーの為に努力してゐる人であるが、ウタリーは物事を凡て其の連絡を速かに然も密にでして欲しい、と要望してゐる。
陳情等で来て他官庁等へ紹介した場合、其の後の模様を何等ウタリから連絡されぬ場合が多く特にアイヌ協会関係者の注意を望んでゐる。
協会支部の法人化
一万七千アイヌ同族の向上を目指して結成されて以来発展を辿る社団法人北海道アイヌ協会は各地に支部が生れてゐるが、此の支部の発展の為にも支部自体が法人として登記しなければならぬと要望が昂ってゐるが既に釧路支部が此の手続を進めて居るし道庁当局も之を希望してゐる実情である。
第九号 1946-09-01.
アイヌ協会代議員会白熱的討議で終了す
社団法人北海道アイヌ協会定期代議員会は八月十九日午後二時より北海道会議員室に於て向井理事長以下吉田、鹿戸両副理事長、小川常務、文字、森、去間、淵瀬、江賀、貫塩、川村、清川、知里、門別の各理事及び森竹常任、辺泥、平村の各幹事、道庁より渡利厚生課長能登事務官池田和美氏、特に在札進駐軍情報係将校等臨席の下に十九支部代議員、正副支部長等八十余名参集の下に開催された。
先づ向井理事長の挨拶に次で小川常務の諸報告あり、各支部代議員より、予算、事業、各部の業務、協会の運営等に質問あり、本部側之に答弁、終って各支部提出の六十余件の事項の白熱的審議に入ったが、時聞が短い為本部側の具体的な応答が与へられず、支部側は満足出来ず夜となり、結局道農倶楽部(宿舎)に午後九時続会したが、これも時間の都合で充分ではなかった。
然し十年振りのアイヌ大会だけに一同は非常に張切ってゐた。
号外 1946-10-15.
足踏するアイヌ協会 資金難で悩む役員達 同族よ真の団結せよ
全道一万七千人、三千五百戸の同族の福利向上を目指して社団法人北海道アイヌ協会の結成されたのは雪深き二月二十四日であった。
あれから八ヶ月、二十に近い支部が出来、協会に依って同族は団結し、民主的自由に依り全同族の発奮が期待されてゐる秋、アイヌ協会が資金難の為に幾多の事業が足踏し、専任書記等も置けず、理事等は頭を悩ましてゐる。
アイヌ協会の一大運動たる例の日高種馬、新冠御料牧場開放運動の為に小川佐助常務理事、丈{孟巾太郎理事、森久士口理事等が上京して来た費用も結局三氏が自費といふ結果になってゐる。
協会経済部員の一人たる大川原徳右エ門氏は「僕が理事長であったら百万円位の資金をわけなく造成して見せる」と云ってゐるが然し大川原氏の手腕でも実現は不可能であらうと目され疑問とされてをり、一理事は協会を結成の際小川常務が資金は幾等でも集まると大言したのに今になってこんな実情ではどうもならん云々、小川氏は新円制になったので資金の造成が困難になったんだと称してゐるが、此の程道競馬協会から一万円を寄附して貰った。
然し協会当面の資金としては直ちに十万円は必要で之が対策樹立に一苦労の形である。
また全道一丸とするを目的としたアイヌ協会とは云へ実際は却々困難で今や「アイヌ協会の御料牧場開放運動に全同族の名を利用し一部役員の利権稼ぎである」と役員間にさへ悪評を買ふ等の誤解が生じたり、アイヌ協会を来るべき道会議員選挙の母体たらしめやうとしてゐる和人等、協会運営の害となるが如き理論屋のみが居たり実際真剣な役員は同情される程の活動を示してゐる。
未だ支部発足の見ない集団的コタン(部落) は全道に大分あり、然も役員のみがゐる部落に限ってアイヌ協会の非民主振りを非難し、下からの盛り上る声によって役員を選ぶべきであったと云ひ、協会発足に際しての官僚的実情を暴路して居り、一方有名無実のアイヌ民族平和聯盟 (責任者川村三郎氏) へも非難の声が注がれてゐる。
解散か?改組かアイヌ協会は嵐の中に立ってゐるが、民主化しないなら全員脱会するといふ支部、協会の発展を期待する支部等もあり、全同族の真の団結要望の声は見逃せぬものがある。
第一二号 1947-02-15.
アイヌ 解放戦線を死守する者は誰?
終戦后自由解放を求めて社団法人北海道アイヌ協会、アイヌ問題研究所、十勝アイヌ協会等がつくられてそれぞれ目下活躍を示してあるが力強き限りといはねばならない。
然しながらアイヌ解放の為のこれらの団体或いは研究所では経費がなくて思ふ様な活動の出来ぬことが最大の悩みとなってゐる事は遺憾至極だが これにも増して我等の最も残念とするのは アイヌ協会が (特に北海道アイヌ協会) 発展しない理由の一つには 各役員が団結しないという事が 本紙はしばしばこの点に就いて反省を促して来たものであるが、多役員間には依然として覚醒の色がうすい。
アイヌの為の北海道アイヌ協会といっても役員 (理事や幹事) を出してその実そこにいるアイヌ部落民は無関心だといふ実情の所もあるとは結局期待されぬアイヌ協会といふ事になる。
道庁では十勝アイヌ協会が出来て、然も北海道アイヌ協会副理事長吉田菊太郎氏が会長となってゐるから、十勝アイヌ協会は北海道アイヌ協会と対抗するのではないかと気をもんでいる。
アイヌ指導の責任にある社会課はかゝる心配を持つ前に、アイヌ解放運動を大いに情熱を持って理解しなければならない。
それと共にアイヌ諸氏もやれ山を解放しろ、御料牧場や河をどうのという間に,日高も北見も釧路も十勝も旭川も胆振のアイヌも本当に団結しなければ駄目なのである。
第一四号 1947-05-25.
本誌を北海道アイヌ協会の機関誌とせられたいとの話あり 本社に於ては特に研究中に付,読者のご意見を求める次第です。
アイヌ新聞社
▽日高アイヌが御料牧場開放を叫ぶのは彼らが天皇に反対するからであり怪しからん、恐らく共産党員だらう!と最近反動保守アイヌ同族はしきりに憤慨している。
▽また和人の大部分は斯くの如き印象を有している。これらの考えは実情を知らぬからでデマと一笑に附すことができるが中央のお役人中には小川佐助氏を中心とする北海道アイヌ協会は共産党に関連しているかの知く思っているのがある。
▽少し進歩した行動や思想を直ちに赤にする事は考えものだ。
▽同協会は全道アイヌの支持を得ていない、アイヌの都白老や近文にすら支部がないから此の際解消してアイヌ党を結成すべしと論ずるものすらある。
▽アイヌの解放と民主化は何よりも団結融和こそ必要である!!
一戸に付 "二万八千円"
田中知事増額を申請
民主北海道のホープ田中敏文知事の道政は早くも多大の期待を注がれ、アイヌ政策も従来の官僚政策から百八十度の向上を示し、五月二日田中知事の名で厚生大臣と農林大臣え大要左の知き意見書が提出された。
▼旧土人保護法の運営
先づ北海道アイヌ協会等を保護法執行の代行機関とされたいといふ陳情請願には賛成出来ないけれども、アイヌ政策は今後道庁に於て積極的に努力し、アイヌ協会の意見もとりあげてアイヌ同族の向上をはかりたい。アイヌの現行保護法の予算の培額が必要だ、住宅改良の補助にしても一戸に付少くとも二万八千円は必要があるから厚生大臣も考えられたい。
▼給与地と農地法の問題
旧土人保護法でアイヌは一万五千坪 (五町歩) 以内の土地が給与されているが、アイヌの不在地主といっても五町以内のわづかな土地だから農地調整法によって買上などのないようにされたい、但しもし買上の際もよく事情を調査してアイヌ民族の更生に心すべきであり此のために当庁も大いに努力するから農林大臣もアイヌには同情を示されたい。
"アイヌ" を売るな
アイヌの風俗を見世物にしたり、アイヌ協会とか新聞なぞは同族の向上をさまたげるものである、アイヌ協会、アイヌ新聞の即時廃止と叫ぶアイヌ青年の数は最近特に多いが、見世物は別として協会や新聞に対しての誤った一方的民族的観測であるとの見解もあり、某氏から近く右問題の請願書が当局え提出される模様なので注目される。
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