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喜多章明「旧土人保護事業概説」, 北海道社会事業, 第51号, 1936.
『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.79-105.
p.89,91
明治十六年教育の思召を以て以下賜相成たる金千円並に文部卿より同様の趣旨を以て下付されたる金二千円の使途に付ては、当時三県に於て私立教育義会を設立し、旧土人児童の初等教育普及の資に充つべき計画であったが、廃県と共に水泡に帰し、その後明治三十二年保護法の制定と共に、同法第十条に依り長官管理の財産として指定され、初等教育の助成普及の資に充用きれて来た。
爾来拓殖の進歩と共に町村財政が確立し、小学校の設備も従って完備し、いかなる僻陬の部落と雖も初等教育は均等に享受し得る情況となったが、他面中等教育以上に至つては、天稟の才能を有し乍ら学資金の窮乏よりして、向学の志空しく葬り去られつつあるので、道庁は昭和六年に至り、竿頭更に一歩を進めて之等の子弟に対し奨学資金給与の途を開き、助成に努めてゐる。
目下この資金を受けて修学中のものは、大学一人、中等学校一○人、高等小学校七人である。
就中大学在学中の一人は、東大英文科に学び、アイヌ言語の泰斗金田一博士の遺鉢を継いで、斯界の専攻に努め、近く「アイヌ文法」を世に公にそんとしてゐる。
かくて進まばやがて土人族よりも大学者が出でて一世を驚到し、往時の面目を一新する時が来るであらう。
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