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喜多章明「旧土人保護事業概説」, 北海道社会事業, 第51号, 1936.
『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.79-105.
p.83
本道町村の状態も拓殖の進歩に伴うて財政的基礎漸次鞏まり、小学校の設備も完備し、いかなる辺鄙に住む児童も教育の機会均等を受くるに至ったので、所謂土人小学校は明治四十四年の最多校数二十一校を限度として増設することを停め、その後は事情の許す限り之が経営を町村経済に移管する方針を執り今日に及んでゐるが現在 [1936] の維持校数は左記八校である。‥‥‥
p.84
土人小学校と言へば世間では士人のみを収容してアイヌ語でも教へてゐるかのやうに考へてゐる向もあるが、事実は決してそうではない。
教科目その他の組織に付ても一般小学校と何等変りがないのみならず、右に示す如く和人児童が半数以上も収容されてゐるので教育的に見て所謂土人小学校たるの特徴は毛頭ない。
要は之を維持せる経費が国費支弁たると町村支弁たるとの相違に過ぎない。
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本道の旧土人は殆んど和人児童と共に、同一の校舎に収容きれ、同一の教授を受けつつあるが、旧土人児童のみを収容して教授するのが是か否か、和人児童と混合して教授するのが是か非かの問題に付ては、既往の実績に徴し将た今後同族の進路に鑑みて、もはや議論の余地はなくなった。
即ち特殊教育を施す場合は、環境の刺戟がないから土人児童等は同族の天地のみに立籠って敢へて他を見ず、従って従来の風習により脱せず、就中アイヌ訛りが芟除されない。
のみならず何と言っても、土人のみの学校では設備も行届かないから、教授の完壁を期し難い。
現在土人の青年中で少しでもしっかりしたものは、何れも一般小学校を卒業したものである。
土人学校を設けてアイヌ語を教へ、卒業後はアイヌ独自の社会に送り込むのなら兎も角、さなき限り特殊教育の如きは教育上の価値より見て百害あって一利を認めない。
この問題は識者も、教育家も、之を認めてゐるので道庁でも町村財政の許す限り速かに全廃の意向を有し、近く保護法を改正してこの財源を以て保護施設に充当せんとしてゐる。
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