Up アイヌ語の消滅 : 要旨 作成: 2016-07-19
更新: 2016-07-19


    アイヌ語は,消滅した。
    これについてアイヌイデオロギーは,「為政者がアイヌ語の使用を禁じた」と唱える。

    アイヌイデオロギーは,つぎのように考える者である:
     《 為政者は,同化政策を以て,アイヌを滅ぼそうとした。
    実際,アイヌは,この政策によって滅びてしまう。》
    そこで,つぎのようになる:
     《 アイヌが何かを失うのは,それを失わせる施策による。》
    特に,つぎのようになる
     《 アイヌがアイヌ語を失ったのは,為政者がアイヌ語の使用を禁じたためである。》


    アイヌイデオロギーは,モンスターである。
    妄想をつくり,妄想に生きる。
    《アイヌを滅ぼそうとする者がいる》の被害妄想を,自分のアイデンティティーにする。
    妄想と合わない事実は,これを無いものにする。
    アイヌイデオロギーに対しては,「為政者がアイヌ語の使用を禁じた事実は無い」は通じない。

     註 : アイヌイデオロギー批判をする者は,アイヌイデオロギーを理解していない者である。
    アイヌイデオロギーは,これを正しく理解してやらねばならない。
    アイヌイデオロギーは,モンスターであり,妄想に生きているものなのである。
    対象を正しく理解するとき,対象はリスペクトするものになる。
    生物学者が研究する生物は,生物学者にとって「モンスター」である。
    生物学者は,対象を研究するほどに,対象をリスペクトするようになる。
    モンスターであることと,それがリスペクトされることは,矛盾しない。
    アイヌイデオロギーを正しく理解するとき,アイヌイデオロギーもリスペクトするものになる。
    この奥義,よくよく吟味すべし。


    アイヌの滅亡は,「生態系遷移」の現象である。
    この「生態系遷移」は,<商品経済の進出>である。

    商品経済の進出で,アイヌの生活崩壊が起こる。
    生活困窮者が発生する。
    この模様を見て,為政者はアイヌ対策を考える。
    二つの選択肢がある。
    救済主義と放任主義である。
    言い換えると,社会主義と自由主義である。

    かつて日本経済の成功は,日本型社会主義の成功と言われた。
    日本人は,体質的に社会主義である。
    自由主義の殺伐感は,体質に合わないのである。

    アイヌが商品経済に翻弄されて困窮化していく様を見て,為政者は<放任>ができない。
    <救済>をやる。
    <救済>は,<おせっかい>であり,<同化>である。
    施策はうまくいくものではないから,<救済>として感謝されるのではなく,<おせっかい><同化>として反感され恨まれるものになる。

    政治は,「施してやる」のトップダウンが,ダメなのである。
    困っているということですので,対策してみます」調で,相手の要求に応じたという格好をつくることが肝心なのである。


    商品経済の場の言語は,和人語である。
    アイヌは,和人語を話せないと生活が立たなくなる。

    放っておくと,出来る者と出来ない者がはっきり分かれ,格差が進行する。
    大多数は,生活困窮者なる。
    よって,「学校」が必要になる。

    政治は,「施してやる」のトップダウンで,アイヌを学校に行かせる。
    そして「同化教育」と反感され恨まれるもとになる。
    学校が要望なら応じましょうか」のステップを措くことを抜かしたバチである。


    生業のことばが和人語で,和人語を学校で習うようになるとき,アイヌ語は急速に失われる。
    これは,移民が第二世・三世と経て母国語を失っていくのと同じである。

    言語が機能する場は,共同体であり,家庭は副である。
    共同体の言語と家庭の言語が異なる状況になったとき,家庭の言語は共同体の言語に替えられていく。
    これは,言語のダイナミクスである。

    アイヌ語は,アイヌが自らアイヌ語を捨てたことによって,無くなった。
    アイヌイデオロギーの謂う「為政者がアイヌ語の使用を禁じた」によって無くなったのではない。