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喜多章明「旭明社五十年史 : えぞ民族社団」(1967)
『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.106-173.
p.127
旭明社が生れた昭和の初頭頃になると、同族の職業も、各種の職種に分派しつつあったが、どうも職業に粘ばりが乏しく、折角就職しても長続きがせずあちこちと日雇仕事を拾って歩くものが多く、親達の中には子女が十四、五歳になると、一定期間幾何と言う前金を取って農家に奉公に出す、体のよい「身売り」がままあった。
旭明社はこうした事実に鑑み、毎年小学校を卒業する児童に対し、進学し得る家庭に対しては進学を奨め、就職する児童に対しては、一生を托し得る職業を撰んで就職を指導し、殊に身売りする家庭に対しては厳重これを警しめて来た。
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