Up | 「適応」: 要旨 | 作成: 2016-06-04 更新: 2016-06-04 |
生態系は,《自己参照 (self-referential) を以て,均衡状態をその都度実現/更新》を自動運動する。 これの個の次元が,「適応」である。 個の次元の適応は,種の浮沈を現象する。 生態系の遷移は,種の次元では,優劣関係の変化である。 そしてこの中で,絶滅する種もある。 アイヌは,終焉している。 「終焉」の内容は,《アイヌが,アイヌの生活をやめる》である。 「アイヌの生活」の根幹は,狩猟採集である。 アイヌはこの狩猟採集をやめるに至り,アイヌの終焉となった。 アイヌを《狩猟採集をやめる》に導いたものは,商品経済である。 商品経済は,アイヌを商品経済に導く。 そして,アイヌの場合,《商品経済に導かれる》は《狩猟採集をやめる》である。 この《狩猟採集をやめる》は,「適応」である。 アイヌは商品経済に適応し,アイヌの終焉となる。 狩猟採集生活の最初の相は,「自給自足」である。 これの外部に,商品経済が現れる。 狩猟採集生活に,「交易できるものの狩猟採集」の相が加わる。 そして,これの比率をだんだんと大きくしていく。 商品経済が,さらに貨幣経済として進出してくる。 狩猟採集生活は,「金に換えられるものの狩猟採集」になっていく。 山菜は,金に換えるために採る。 魚は,金に換えるために漁る。 動物は,肉や胆や皮を金に換えるために猟る。 その金は何に使うのか。 米の購入,布とか金属製品とかの生活用品の購入,病気になったときの病院費用等である。 アイヌの生活は,ずっと昔から,商品経済とつながっている。 アイヌの歴史は,商品経済への依存度を増していく歴史である。 そして最後には,商品経済に完全に依存したものになる。 特に,アイヌの生活に対する「自然との共生」の修飾は,ウソである。 アイヌの生活に対する「自然との共生」の修飾は,イデオロギーから出てくる。 そのイデオロギーは,アイヌの生活が「自然との共生」でないと不都合になるイデオロギーである。 自分の都合を通すためにアイヌの生活を「自然との共生」にするのが,このイデオロギーである。 適応は,<強いられる>と<択る>の二つのベクトルの アイヌは,商品経済で生きることを強いられ,併せて,商品経済で生きることを択る。 「適応」は,是非のはなしではない。 「是非もなし」のはなしである。 「適応」は,「現状」("No more than this") である。 いま「アイヌ」とは,「アイヌ」の笛を吹く者がいて,そしてこの笛に踊るのは動員される彼らの関係者だけ,という現象のことである。 そしてこれも,「適応」現象である。 「現成」("No more than this") である。 |