Up 過去は,今の昔ではない 作成: 2019-01-21
更新: 2019-01-22


    母系樹形図も父系樹形図も,枝の殆どは死んだ枝 (末端が死んだ個体) である。
    生きている枝 (末端が今生きている個体) は,死んだ枝の数と比べれば「ジャングルの中の一草」みたいなものである。

    死んだ枝を,「伝承が断たれた枝」と読むべし。

    このとき,《今に伝わっているものは,過去に失われたものの数と比べれば「ジャングルの中の一草」みたいなもの》となる。
    これは,何を意味するか。
    一草からジャングルが偲ばれないのと同じに,今から過去は偲ばれないということである。

    過去は,今を古くしたものではない。
    過去は,今の昔ではない。


    「過去は今の昔ではない」の認識は,特にアイヌ研究の場合,重要である。
    アイヌは文字をもたなかったからである。

    アイヌ研究は,過去の存在であるアイヌの研究であるから,アイヌ史を構築しようとするものである。
    日本史の構築を見ると,これは結局,厖大な量の古文書の再編集作業である。
    古文書こそが,今の昔ではない過去を知らせてくれるものだからである。
    日本史の構築は,厖大な量の古文書の存在が可能にしている。
    翻って,厖大な量の古文書の存在が無ければ,日本史の構築は無い。
    アイヌ研究においても,「厖大な量の古文書の存在」は必要条件になる。
    しかしアイヌ研究は,この条件を欠く(てい)で立つのみである。

    特に,現前の「アイヌ史」と称しているものは,アイヌ史ではない。
    現前の「アイヌ史」は,「大いなる欠落」である。
    そしてその欠落は,永遠にわからない。