Up 参考 : 武隈徳三郎の同化教育論 (1918) 作成: 2017-01-30
更新: 2017-01-30


    「同化」ヘイト・スピーチの対照として,武隈徳三郎 (1896-1951) の『アイヌ物語』(1918) ──小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, 草風館, 1998. pp.351-372 ──から,「同化」についての彼の認識が直接述べられている箇所を引く。

     
    p.353(河野常吉による「序」)
    氏は十勝国帯広町伏古別のアイヌにして小学校に学びたる後、帯広准教員講習所に入り、(つい)で北海道教育会教員養成所に入り、所定の科目を修了して、大正三年尋常小学校本科正教員の免許を得たり。
    尋で郷里音更尋常小学校訓導と為り数月にして退職せしが、大正五年胆振国勇払郡鵡川村井目戸旧土人学校に奉職し、以て今日に至れり。
    年齢二十三。
    ‥‥‥
     従来アイヌにして教員と為りしもの六名あり。
    即ち幌別の金成太郎氏、静内の高月切松氏、元室蘭の山根清太郎、同留太郎の兄弟二氏、長万部の江賀寅三氏及び十勝の武隈氏なり。
    而して金成、高月の二氏は、品行の不良を以て前に失敗し、山根氏の兄弟は、温良の聞えありしも、惜むらくは中途に病死し、今日残るは江賀、武隈の二氏のみ。

     
    p.358
    アイヌは多く不良なる和人に接触したれば、終に和人に対し、概して猜疑心を抱くに至れり。 ‥‥‥
     只彼等の最も信じて敬ふは其の部落の小学校教職者なり。
    彼等は斯の知き信念を有せり。
    「天下広しと雖も真実に味方し、最も懇切に指導を与ふるは先生の外なし」と。
    之れに依りても、教育の力の如何に偉大にして侵すべからざるものなるかを、今更ながらしみじみと感ぜらるゝなり。

    p.358
     土人を和人より隔離して一定の地方に集団せしむるは、土人保護上適当なる方法ならんとの説あり。
    之れにつきて識者間に是非の議論ありと聞けり。
     現今のアイヌは日本帝国の臣民たることを自覚せり。
    其の進歩せる者に至りては、君に忠を致し国に恩を報いんとの精神は溢るゝばかりにして、敢て和人に引けをとるが如きこと無きは、爰に断言して憚からざる所なり。
    ()して和人との接触に慣れ、周囲の事情に漸く打ち勝つことを得つゝある折柄、決して和人と離隔する要を認めず。
    否、土人をして和人に同化し、立派なる日本国民たらしむるこそ、アイヌの本懐なれ。
    又国家より見るも、之れが至当のことならん。

    p.367,368
    (三) 学校教育の沿革及ぴ規程
     アイヌの学校教育は、開拓使の時に、其の端を発したりと雖も、当時は北海道に学校の数も少なかりし故、アイヌの子弟にして就学したるものは極めて稀れなりき。
    三県時代に至り恐れ多くも帝室よりアイヌ教育資金を御下賜あらせられ、三県に於ても大に教育を奨励せられたれば、アイヌ児童の就学するもの稍々多くして其の中二三の者は、進んで教員たる免許をも得るに至れり。
     北海道庁となりては、其の初め、進歩の観るべきものなかりしが、明治三十三年旧土人保護法の発布せらるゝに及び、相当集団せる部落には、同法第九条に依り、国費を以て旧土人小学校を設けられ、之れに依りてアイヌ教育は再び進歩することゝなりたり。
     教育の方法は初めは和人の子弟と同じく、教科も年限も、皆、一般の規程によりしが、其の後の経験により、実際の状況に適せざる所あるを以て北海道庁長官は文部大臣に申請して許可を受け、大正五年十二月二十四日庁令第八十六号を以て、左の如き特別法を規定し、同六年四月一日より施行せられたり。
     ‥‥‥
     此の規定を以て旧規程に比すれば、就学期を満七歳としたること、修業年限を四ヶ年とし、特別の理由あるものに限り認可を受け六ヶ年とするを得ること、土地の情況に依り教授時間を減縮し得ること等大に改正を加へられたり。
    尚ほ教科目の表を見るに、修業年限六ヶ年のものに於ても、歴史・地理・理科を省かれ、其の代りに実業科 (四学年のものにも此の科あり) の一科を課せられたり。
     右改正の趣旨を承はるに、アイヌの現状に適合し、其の生活を安定ならしむる為めに出でたるものにして、教科目は実生活に密接なるものを授け、修業年限は之れを短縮し、卒業を早からしめて、家の手助を為し、他日実業家たらしむるを目的とせしに外ならずと云ふ。
    其の実際に適合するや否やは、之れを措き筆者はアイヌの子弟が和人と同様の教育を受くること能はざるを思ひて(うた)た悲しみに堪へざるなり。

    p.368-370
    (四) 学校教育の現況
     北海道旧土人保護法に依り、国費を以て設けられたる旧土人小学校は、目下其数二十校に達せり、之れを国別に示せば、
     胆振国
       虻田第二尋常小学校、有珠第二尋常小学校、白老第二尋常小学校、井目戸尋常小学校、累標尋常小学校。
     日高国
       平取尋常小学校、新平賀尋常小学校、二風谷尋常小学校、荷負尋常小学校、遠仏尋常小学校、姉去尋常小学校、辺訪尋常小学校、姉茶尋常小学校、元神部尋常小学校、岡田尋常小学校。
     十勝国
      第二伏古尋常小学校、音更尋常小学校、芽室太尋常小学校。
     釧路国
      春採尋常小学校、白糠尋常小学校。
     此の外全道に亙り土人児童を委託せる委託小学校及び旭川区近文に土人共有財産を以て設立せらるゝ旧土人小学校あり。
     教育奨励の結果、就学歩合は大正五年度に於て学齢児童百に付き、九十六・五九の好成績を挙げたり。
     児童学業の成績は、図画書方の如き技芸に属するものに長じ、唱歌は美音にして其の最も得意とするところなり。
    綴方、算術の知き思考力を要するものは短所とす。
    国語の練習も亦困難なるを免れずと雖も教育実施当初に比すれば、漸次進歩して良好となれり。
     小学卒業後の成績は、和人に比して良好ならず。
    是れ其の学校より出づるや、母校を忘れたるが如く、之れに出入して教師の教を請はず、其の学びたる事柄を忘却すると共に、一方には社会の悪風に感染するを以てなり。
     然れども、土人教育の効果は、多大なるものあり。
    其例を挙ぐれば、元室蘭出身の兄弟二名は、師範学校を卒業し小学校教員 (疾病のため死亡せり) となれり。
    又長万部村出身の江賀寅三氏は高等小学校卒業以来独学奮闘の結果、小学校教員免許状を得て、目下平取尋常小学校に土人先覚者として可憐なる同族子弟を教育しつゝあり。
    以て其の他を推知するに足るべし。
     斯の如くにして、教育は漸次良好の状態に向へり。
    目下在学しつゝある児童の生長して父母となれる頃は、其の成績和人に異ならざるに至るべし。

    p.370-371
    (五)今後の教育に就きて
     今後の旧土人教育を完全にし、其の成績を挙ぐるは緊要の事なりと雖も筆者の知識浅薄にして良案を見出す能はず。
    然れども筆者は同種族たるのみならず、数年間子弟の教育を実地に行ひたれば其の結果に照らし、甚だ愚劣ながら、左に意見を開陳すべし。
    彼等の社会状態、並に現在の教育法を改め、欠陥を補ひ、極力指導せば敢て其の目的を達すること能はざるにも非るべし。

     一般教育として
    一、 家庭の悪風習を矯正し、子弟教育に関する注意を喚起せしむべし。
    二、 男子の飲酒の常習を絶対的に禁ずるか又は節せしむべし。
    蓋しアイヌ人口の漸減は、アルコール中毒に因ること多きのみならず暴飲は彼等を堕落せしむる第一歩なればなり。
    三、 アイヌの精神の遅緩せるは事実なり。
    故に之れが緊張をはかり向上発展せしめ、有為なる国民と為さんには、青年会を組織し之れを中心として勇壮なる撃剣等を行はしむべし。
    又戦役、忠勇立志並に農業等に関する書籍を備へ、彼等をして自発的に勉学せしむることも亦大に必要なり。
    四、 従来一般の人は、アイヌに対し(やや)もすれば「アイヌだから」の言を使用せり。
    此はアイヌの感情を害し、相互の誤解を招く基なれば、之れを廃し、土人をして、自ら「アイヌだもの」の念を起さしめざるを要す。
    五、 アイヌの和人に接触して、最も嫌忌せられる一原因は衛生思想の乏しきに依る。
    之れを指導改善すること肝要なり。
    六、 アイヌは旧土人保護法に依り、土地を支給せらるゝ等恩典に浴するも、其の生活は未だ良好の域に達せず。
    「衣食足りて礼節を知る」との格言あれば、彼等の活計を根本的に改善すべし、衣食足るに至らば教育も、とみに挙るべし。
    七、 旧土人の進歩発展を()ぐ大なる原因は依頼心の強きにあり。
    此の原因に付きては、或は歴史的なりと云ひ、或は保護法の保護の厚きに因ると論ずる者あれども、筆者は歴史的は別として保護法に因るとは信ぜず。
    何となれば、同法実施以前より生じたるものなればなり。
    其の最大原因としては、彼らに文字無く、現今にても無学なる者多きに因す。
    何事を行ふにも決断力に乏しきも、之れがため、社会の事に暗く、自己の行はんとすることは正当なりや否や危み迷ひ、遂には和人に依頼するに至りしものなり。
    されば之れが矯正方法としては、彼等の子弟を十分に教育し、特に実社会に必要なる知識を授くること肝要なり。
    児童教育としては、
    一、 特別教育規定に依り、入学々齢満六歳を満七歳に、修業年限六ヶ年を四学年に改められしは先きに述べし如く、旧土人生活状態を斟酌せしものならんも、児童教育を完全ならしむる上に於て遺憾に堪へず。
    人の幼時に於ける感化は実に強大なること言を俟たず。
    されば幼時長き間、徒らに家庭に放置するは害ありて益なし。
    満六歳より学校に入りて善き教育を受けしむるを可とす。
    又修業僅か四ヶ年にては、十分なる教育を施すこと能はざるは明かなり。
    土人をして、向上発展せしめんと欲せば、現在の生活を改善すると共に、其の子弟の学齢並に修業年限を旧に復する必要あるべし。
    二、 和人土人の児童をして、相互に了解会得して同情の念を起さしむべし。
    小学読本巻十「第二十二課あいぬの風俗」は、之れを省きて、更に適当なるものを加へられんことを望む。
    三、 旧土人小学校を優等にて卒業し、進んで中等学校に入らんと欲するものには、保護費又は旧土人共有財産の収益を以て、奨励的に入学せしむ可し。
    四、 旧土人小学校の経費を増して、之れが経営に遺憾なからしむべし。
    余り多く国家に依頼して御迷惑を掛くるは、善き事にあらざれども、アイヌの境遇にては、是れ亦止むを得ざるものなり。

     以上は筆者の愚かなる意見にして、定めて採るに足らざるものならん。
    願くば江湖の諸賢、憐れなるアイヌの為めに、良按を立てて十分の教育を施し給はんことを。