Up 武器 作成: 2017-02-01
更新: 2017-02-01


    デマゴギーは,意図して用いられるものである。

    デマゴギーは,何が目的か。
    デマゴーグには,やっつけたい者がいる。
    その者をやっつけるために,その者を<悪>に仕立てる。
    そして,ひとに義憤を抱かせて,その者をやっつけるよう仕向ける。

    デマゴギーは,つねに成功を見る。
    ひとは,プロパガンダの内容の真偽を確かめようとは,しないからである。
    そこで,デマゴーグは,ますます図に乗ってデマゴギーを用いるようになる。


    政治運動は,大なり小なり,デマゴギーを武器にする。
    最たる者は,人民革命イデオロギーの政治運動である。
    彼らは,為政者を悪に仕立て,大衆に義憤を抱かせ,為政者をやっつけるよう仕向ける。

    人民革命イデオローグの思考回路は,つぎのようになる:
    1. 社会は, 「抑圧者 対 被抑圧者」である。
    2. 抑圧者が倒され被抑圧者が解放されることが,社会がよくなることである。
    3. 抑圧者が倒され被抑圧者が解放される革命を期す。
    4. われわれは被抑圧者を導く革命的エリートである。
    5. いまわれわれが取り組むことは,革命の引き金をつくることである。
    6. 革命の引き金の核心は,抑圧者に対する被抑圧者の憤りである。
    7. 抑圧者に対する憤りを醸成する方法は,抑圧者の悪らつの物語を聴かせることである。
      この種の物語をたくさん揃え,ひとにたくさん聴かせることをしょう。
    8. 革命は絶対善であるから,抑圧者に対しひとを憤らせることができるなら,物語は嘘でも構わない。
      デマゴギーも,革命の立派な戦略である。
      抑圧者に対しひとを憤らせることができるデマゴギーをたくさん揃え,ひとにたくさん聴かせることをしよう。


    シャモ・ヘイトスピーチは,ここで謂うデマゴギーである。
    シャモヘイト・スピーチをする者は,どのような者たちか。

    アイヌ系統者は,「自分をアイヌ系統者として現す」について,つぎの二派に分かれる:
    1. アイヌ扱いされることは,「アイヌ特権」を含めて,不本意である。
      よって,自分をアイヌとして現すものは,無くさねばならない。
    2. アイヌ扱いされることは,「アイヌ特権」の意味で,本意である。
      よって,自分をアイヌとして現すものは,無くしてはならない。

    aは,シャモ・ヘイトスピーチをする者ではない。
    実際,シャモ・ヘイトスピーチをすることは,自分をアイヌとして現すことである。

    bは,「アイヌ特権」を合理化しなければならない立場である。
    「アイヌ特権」を合理化するものは,結局「アイヌ法」である。
    『旧土人保護法』は,「アイヌ法」である。
    bは,「アイヌ法」の保持と,これの強化 (「新法」実現) を,政治運動していかねばならない者になる。

    bは,「アイヌ特権」の合理化として,「蔑視」「薄遇・冷遇」「苛虐・虐待」「迫害」の意味の「アイヌ差別」を訴えることになる。
    そしてこのとき,デマゴギーをやることになる。

    bのデマゴギーは,歴史改竄にまで進む。
    その内容は,これを授業された生徒が義憤をもよおすものである。
    "アイヌ" の子弟であれば,「シャモをやっつけてやりたい」の怨念をもつようになるものである。
    bは,これが公教育にのるよう,運動する。


    このように,シャモヘイト・スピーチ (デマゴギー) の出自・所在は,いつもbなのである。
    ここは,重要なところである。
    実際,"アイヌ"学の要諦は,これの押さえにある。


    シャモヘイト・スピーチ (デマゴギー) にいちばん引っかかるのは,実は「アイヌ学者」である。
    一般者はもともと「アイヌ」に無関心な者であるから,デマゴギー・プロパガンダは彼らのもとには届かない。
    これをキャッチするのは,「アイヌ学者」である。
    そして,他愛なくひっかかってしまう。

    どうしてこうなるのか.
    ひとは,ロジックよりも,「正義」を採るものだからである。
    デマゴギーは,義憤に訴える物語である。
    ひとは,正義の味方でいたいから,義憤を表明する。