「解放」イデオロギーは,「自分を奴隷にしている者を倒して,自分を解放」イデオロギーである。
このとき,「自分を奴隷にしている者」を何に定めるかで,いろいろなタイプが現れる。
──「帝国主義者」に定めるとか,「独占資本家」に定めるとか,現政権に定めるとか,「和人」に定めるとか,等々である。
つぎは,「帝国主義者」に定めた場合 (「反帝」イデオロギー) である :
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河野本道「『旧土人保護法』にまつわる人間関係の歴史的分析と
将来における方法」,『コタンの痕跡』,1971. pp.335-348.
p.337
この法はアイヌ系の人々が和人によって、そのうちでもとくに帝国主義者たちによって無理やり押しつけられたものである。
日本帝国主義者たちはこれをアイヌ系の人々に対して無理やり押しつけておきながら、あたかもアイヌ系の人々のプラスのために立法したごとく思きせがましい態度をとってきた。
アイヌ系の人々にとっては、自らの生活圏に帝国主義者たちが侵入してこなければそんな立法がなされる必要はなかったのだ。
アイヌ系の人々はそんな法を与えられるよりも、帝国主義者に従来の生活圏を侵されぬ方が良かったはずである。
p.346
こうした帝国主義者が存在する限り、現に集団的に差別されている人々は、将来自由競争の場に不利な条件を与えられた上で参加せねばならないのだから、この後も集団的に差別を拡大されるだけである。
それを帝国主義者たちは望んでいるのだ。
何故なら帝国主義者たちにとってはそうなることがより有利なのだから。
『旧土人保護法』が廃止されれば帝国主義者たちがそれに代わるより都合のよい新しい手段を準備することは見え透いている。
だから、たとえアイヌ系の人々が帝国主義者たちから奪われたものについて幾分かの代償を得たとしても、結果に大差はない。
少しばかりの代償によってごまかされてはたまらない。
これを解消するには生きる上に自由競争することを建て前とした資本主義社会を根底的に覆さねばならない。
それにはまず、現に見る通りに異民族、異国民、被支配層を抑圧して反省するところのない帝国主義という資本主義社会の持病を告発し、その担い手たちに向けた反帝闘争をなす必要がある。
『旧土人保護法』は反帝闘争のうちに位置づけられ、反帝闘争の成果によって空中分解されないとしたならば、たとえ廃棄処分にされたところでアイヌ系の人々にとってプラスになることはない。
p.347
ところで、『旧土人保護法』を問題にする者のうちには、反帝闘争を担おうとする者は少ない。
『旧土人保護法』を問題にするだけで満足している愚か者、偽善者が何と多いことよ。
『旧土人保護法』の存在は反帝闘争の必要性を物語る一資料であるが、『旧土人保護法』を掲げずとも、反帝闘争を担う者は、それを問題とするのみで満足している愚か者たちよりずっと、アイヌ系の人々の解放に実効をもたらすであろう。
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