Up 中国賛美──<白黒>思考回路 作成: 2017-02-25
更新: 2017-02-25


    ひとは,生活経験を積むと,物事の多面性を知るようになる。
    即ち,つぎのことを知るようになる:
      いま見えているものは,物事の一つの面である。
      見えてはいない他の面が,いろいろ・数多くある。

    怨念は,この学習を妨げる。
    世界をずっと<白か黒か>の二値で見ることをさせてしまう。

    世界を<白か黒か>で見る者は,自分が黒としているものとは違うものを見せられると,これを白にする。
    怨念は,救いを求めている相なので,こうなってしまうのである。

    当時「よど号ハイジャック事件」というのがあった。
    つぎの短絡思考が,飛行機を北朝鮮に向かわせたのである:
      <日本 = 黒>
      <北朝鮮 ≠ 日本>
      ゆえに,<北朝鮮 = 白>

    「北海道アイヌ中国訪問団」は社会党議員の岡田春夫がお膳立てしたものであるが,その思いは「毛沢東中国=希望の国」である。
    実際,当時の社会党にとって,毛沢東中国,金日成北朝鮮は,理想国家建設の道を歩む希望の国だったのである。


      戸塚美波子「北京の灯」
    『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.18-20.
    p.20
     私が中国へ行く前も、そして帰って来た後も私に対して、中国の政治は悪いとか、特定の人間しか入国させない国だとか言う人がいるけれど、そういう人はどこまで考えて話しているかな、と思う。
    私が、中国ベッタリになったような事を言う人もいるけれど、私はそれでもいい。
    言いたいやつは言え、私は、中国の人々が好きなのだ。
    とにかく、行って来てから、反論するならして、悪口を言いたいのなら言えばいい。
    私は私の行った場所と、そして、それによって受けた印象と、それ等をもとにして私なりの対応をしようとおもっている。
     中国に行って感じたことの一つに、中国の人々には、お世辞は必要じゃないということ。
    思ったこと、感じたこと、意見を卒直に伝えること、そして、妙な猜疑心は持たぬこと、つまり、中国へ立つ前に、やたらと、人の忠告に耳を傾けないこと (忠告してくれる人は親切のつもりでもアテにならないから) だというそれらのことです。
     私達、招待を受けて行ったわけですが、本当に、言葉では言い尽せない歓待を受け、このことは一生忘れられません。
     他の人がどんなに中国の悪口を言っても、あの優れた少数民族対策には頭が上がらないでしょう
    中国に行って初めて、アイヌに生まれて良かったな、としみじみ思いました。


    白黒思考回路なので,つぎの問いが立つことを知らない:
      「少数民族対策とは何か」
      「なぜいまこの形態の少数民族対策なのか」
      「状況が変わるとき,いまのこの少数民族対策はどう変わるか」

    そして,この者は《民族抑圧政策は,白がこれを行えば白》の無定見を曝す者になる:
      戸塚美波子「中央民族学院にて」
    『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.44-47.
    p.45
     チベットでは、革命以前、子供が生まれるとラマ教のお寺に届け出るきまりがあった。
    家族の人数全部に人頭税という奇怪な税金がかけられたり、また、ラマ教の僧侶が行なった非道なやり口などには、さすがに驚いたが、それと同時に、なぜ中国が宗教に対して、神経質なのかが納得できた思いがした。


    《白が行えば白》は,革命イデオロギーの核心である。
      革命の暴力は,善。
      革命の独裁は,善。
    実際,「中国訪問団」を対外プロパガンダの方法にした毛沢東文革体制は,「造反有理・革命無罪」のスローガンを以て大量粛清・虐殺を進める体制であった。