Up 教訓 :「商品経済」の視座の必要 作成: 2017-02-25
更新: 2017-02-26


    「北海道アイヌ中国訪問団」は,中国側の歓迎とプロパガンダに,手も無く騙される。
    なぜ,手も無く騙されるのか。
    「商品経済のダイナミクス」に考えが回らないからである。


    訪問した毛沢東文革中国は,商品経済以前である。
    革命は,商品経済を潰した。
    さらに,毛沢東は,商品経済が成長しそうなのを見て,これを潰しにかかる。
    即ち,商品経済政策を進めようとする勢力を「修正主義」と定め,これの粛清に乗り出す。
    これが,「文化大革命」である。

    この時節の中国には,「商品」が無い。
    当時,毛沢東文革中国のプロパガンダとして,日本の主だったところで「中国物産展」が開かれているが,並んでいる品は,プロパガンダの書籍,切手,切り絵,そしてお菓子 (カボチャの種の類) である。

    「訪問団」は,この中国に入った。
    商品経済に侵食されていない中国に入ったわけである。
    状況は,和人入植に侵食される前の北海道と似ている。
    この中国に入って癒されるのは,「訪問団」に限らない。
    商品経済で消耗している者は,中国に入れば癒されるというわけである


    しかし,ひとは商品経済のダイナミクスに抗えない。
    実際,いまの中国になるわけである。

    この過程で,中国は,「民族問題」を深刻な問題として顕していくことになる。
    商品経済の浸透は,これまでの生活を壊す。
    この生活破壊に暴力で対抗すれば,辺境だと「民族独立運動」へ進まずには済まない。
    一個の「民族独立運動」は,「二つの中国」問題になる。
    「独立」は,「敵対勢力の側につく」を意味する。
    よって,抵抗は,徹底的に潰されることになる。


    国の辺境政策は,つぎの二つの意味が重なっている:
    1. 外国の進出・侵略を防ぐ
    2. 商品経済化 (「開拓」「市場化」)
    そして,その時々で,aの要素が大きかったり,bの要素が大きかったりする。

    明治新政府になってからの北海道への和人入植も,この場合である。
    当時のロシア極東進出への対策と,開拓 (商品経済化) の二面がある。
    後者は,アイヌの生活を破壊する。
    この事態は,「二つの日本」を懸念させることになる。
    そこで,アイヌの懐柔が必要になる:
      明治2年5月21日の詔
    蝦夷は皇国の北門にして山丹満州に接し,略境界ありと雖も北門に至りては中外雑居す。
    之に加ふるに従来官吏の土人を使役する甚だ苛酷、而して外人頗る愛恤を尽す。
    故に土人往々我を怨望し,彼を尊信するに至る。
    一旦彼民苦を救ふを名として土人を煽動するあらば其の渦延て松前、函館に及ばん。
    方今の要務は渦を未然に防ぐにあり。
    函館平定の後速かに開拓教導を蝦夷に施し、人民蕃殖の域となさんとす。
    其利害得失各意見を陳し、忌憚する処ある勿れ。

    こうして,アイヌは,<破壊されて・保護されて>の者になる。

    <破壊して・保護して>を,「(なま)殺し」と謂う。
    アイヌ終焉史は,アイヌ残酷史である。