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戸塚美波子「北京の灯」
『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.18-20.
p.20
北京飯店の中であった多くのシャモは、私の目から見れば、いやしくさえ見えた。
通路にさりげなく置かれている花瓶は、歴史の重みを伝える素晴らしい物であったが、その花瓶にベタベタと手をふれて、トントンとこずき、さらに値踏みをしているシャモを、私は幾度か見かけたものだ。
その都度、私は恥ずかしくて顔が紅くなった。
‥‥‥
他の人がどんなに中国の悪口を言っても、あの優れた少数民族対策には頭が上がらないでしょう。
中国に行って初めて、アイヌに生まれて良かったな、としみじみ思いました。
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革命の空気の中国に入って,憎悪が解放される。
「シャモ」のことばを用いて憎悪することが,気持ちよくなる。
この憎悪はどこへ向かうか?
「訪問団」がいた中国は,まさにこの種の憎悪解放の場であった。
知識人・エリート階層の吊し上げ・虐殺が進行した。
憎悪は,<いたぶり・殺す>の夢想である。
憎悪の解放は,<いたぶり・殺す>の解放である。
<シャモ憎悪>は,つぎの歴史認識がこれのもとにある:
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山本多助「大中国見聞記」
『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.56-60.
p.56
明治政府は、広大なアイヌの国土を侵略して、アイヌ民族の生きる権利もあらばこそ、人間としての権利一切を掠奪し続けてきたのである。
その上に、男子は一人残らずドレイとして酷使する、女性は皆悪鬼共のオモチャとしてもてあそんだのである。
悪業非道のかぎりをつくした者のその子孫共は現在では文化国家日本、経済大国日本などとほざきくさる。
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これは,<白黒>思考回路の典型である。
二値なので,「一切」「一人残らず」「皆」「かぎりをつくし」の全称表現になるわけである。
どうしたら,こういう思考回路・人格ができあがるのか。
自分とは正反対の立場の者──例えば,喜多真章のような──の言にあたって,思考のバランスを取るということをしないと,こうなる。
自分を壊さない・自分を慰撫することばに専ら浸っていると,こうなる。
山本多助の不幸は,周りがこのキャラクターをおもしろがったり,便利なものとして扱ったことである。
そのため,「ドン・キホーテ」ぶりが改まることはなかった。
つぎ下りなどは,もう酔っ払いの言である:
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山本多助「大中国見聞記」
『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.56-60.
pp.56-57
現在の首相は田中角栄なのである。
彼は東北エゾの直系なのである。
文化国家経済国家の首相の角栄は、まだかつてアイヌ民族をまねいて、ただの一度も東京見物もさせたことがないのである。
しかるに世界の大国中国の民衆は、アイヌを日本国の少数民族として認めた上、一切の諸経費を中国で持ってくれ、その上に国賓並の待遇をしてくれて、いたれりつくせりの見学をさせてもらったのである。
世界広しといえどもアイヌ民族を招待したのは、中国の大衆をもって第一号なのである。
従って、中国に対して我々は深く御礼申し上げます。
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