Up 備考 : 中国の「民族政策」の実際 : 要旨 作成: 2017-03-21
更新: 2017-03-21


      戸塚美波子「北京の灯」
    『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.18-20.
    p.20
     他の人がどんなに中国の悪口を言っても、あの優れた少数民族対策には頭が上がらないでしょう
    中国に行って初めて、アイヌに生まれて良かったな、としみじみ思いました

      戸塚美波子「中央民族学院にて」
    『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.44-47.
    p.45
     チベットでは、革命以前、子供が生まれるとラマ教のお寺に届け出るきまりがあった。
    家族の人数全部に人頭税という奇怪な税金がかけられたり、また、ラマ教の僧侶が行なった非道なやり口などには、さすがに驚いたが、それと同時に、なぜ中国が宗教に対して、神経質なのかが納得できた思いがした。

      貝沢正「広州での入院の思い出」
    『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.98-104.
    p.103
    中国人民は、この山を取り除くべくスコップを握り、ツルハシを振り上げているのだ。 我々の流す汗は新しい社会を建設する為だと自信と誇りをもっている。 中国では、体に汗して働く者が政治と経済を動かすカであり、国家の主人公であると自負している。
     子供、老人、女子、身障者、だれもが健康で明るく美しい目を輝かせている。 親しみをこめた柔らかい言葉で話しかけ、常に笑顔を忘れない。
     ‥‥‥
     「中国の農村がうらやましい」と言ったら、案内の通訳の先生が早速「あなた方は国家の主人公ではないですか、農村を良くするのも悪くするのもあなた方農民ではないですか」と言われ、至極もっともな意見だと思ったが、無力な私にはどうしょうもない。 ただ言えることは、私達の隣りに八億人もの仲間があり、美味しい物を腹一杯食うことと働くことの素晴らしさを知り得たことです。

    彼らは,社会主義国のプロパガンダを知らない者であった。
    言われること,見せられるものをそのまま信じ,感動した。
    彼らは,イデオロギーという幻想を自分の現実にする者であったので,プロパガンダの裏に現実があるという考えを持ち合わせる者ではなかった。


    辺境を国境としてもつ国は,領土問題として辺境問題をもつことになる。
    辺境問題は,その地に棲む者をどのように統治したらよいかという問題──「少数民族」問題──を含むことになる。
    このとき,国が行うことは,どこの国も同じになる。
    そしてこのことで,体制の違いは見掛けの違いでしかないことが,暴露される。

    領土問題としての辺境問題に対する国の政策は,どこの国も同じになる。
    即ち,「入植」である。


      貝沢正, 『近代民衆の記録5 アイヌ』付月報 (1972)
     新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』収載, pp.275,276.
    もっとも無智蒙昧で非文明的な民族に支配されて三百年。 アイヌの悲劇はこのことによって起こされた。
    アイヌの持っていたすべてのものは収奪され、アイヌは抹殺されてしまった。 エカシ達が文字を知り、文明に近づこうとして学校を作ったが、この学校の教育はアイヌに卑屈感を植えつけ、日本人化を押しつけ、無知と貧困の賂印を押し、最底辺に追い込んでしまった。
     世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが、原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う。

    貝沢は,「世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが」と言いながら,「原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う」を言う。
    これは,<人(づて)>を言っているわけである。

    民族派"アイヌ" は,自分に都合のよい<人伝>を回し合い,そしてその内容を現実にするようになった者たちである。
    彼らは,自分が欲する<人伝>を求め,得られたらこれを現実にする。
    「中国訪問団」の中国賛美もこれであった。

    その中国は,実際はどうであったか。
    「悪虐非道」において,少しもひけをとるものではなかった。