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加々美光行『知られざる祈り──中国の民族問題』, 新評論, 1992.
pp.154-159.
人民公社化が始まる以前の1987年5月末、新疆では全国の他地域に若干遅れて、党外の一般人士による共産党批判を許す百家争鳴、百花斉放 (以下、鳴放と略) の運動が開始された。 ‥‥‥
以下に主な要求を列記しよう。
| (1) |
民族自決権の行使によって新疆地域が中国から分離・独立するのを許すこと。
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(2) |
ソ連における連邦共和国ないし自治共和国に相当するものとして新疆に「東トルキスタン・ウイグル自治区」ないし「ウイグルスタン共和国」の名称を持つ政体を創造すること。
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(3) |
幹部および党組織を現地民族によって構成し「民族化」すること。
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(4) |
漢民族の新疆地域への植民計画を停止すること。
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(5) |
社会主義建設計画を延期すること。
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‥‥‥
新疆の名称は、1877年に左宗業が新疆を制圧した際に「漢民族の新しい領土」という意味で名づけたものであり、いわば漢民族の支配と植民地化の象徴であったという。
だからこれを拒否するのは当然の権利だとされたのである。 ‥‥‥
また植民計画の停止と社会主義建設計画の延期の要求は、これら計画がいずれも既に述べたように漢民族の生産・生活の様式を新疆の少数派諸民族の間に強制的に導入するものと受け取られ、それゆえにこれを拒絶しようとするものであったのである。 ‥‥‥
以上のような新疆の少数派民族幹部の鳴放運動における諸要求は当然中共の受け入れうるところではなかった。 ‥‥‥
新疆における「地方民族主義」批判は最終的に‥‥‥などを粛清して最高潮に達した。
「地方民族主義」批判をひととおり終了した段階から始まったのが、再び漢民族の大量移民入植であった。
そしてこの大量移民入植をてことしながら遊牧民のいっそうの定住化と、さらに最終目標である人民公社化が推進されていった。
そしてこの過程に前後してカシュガル地域を中心にトルコ系住民による反乱があい次ぐようになっていったのである。
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