違星北斗 (1901-1929)
『違星北斗遺稿 コタン』(草風館, 1995) から引用:
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白老のアイヌはまたも見せ物に 博覧会へ行った 咄! 咄!!
白老は土人学校が名物で アイヌの記事の種の出どころ
芸術の誇りも持たず 宗教の厳粛もない アイヌの見せ物
見せ物に出る様なアイヌ彼等こそ 亡びるものの名によりて死ね
聴けウタリー アイヌの中からアイヌをば 毒する者が出てもよいのか
酒故か無智な為かは知らねども 見せ物として出されるアイヌ
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鳩沢佐美夫「対談・アイヌ」,『日高文芸』, 第6号, 1970.
『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.153-215.
以下,『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』から引用:
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pp.184,185
僕は、過去三年間、調査とまではいかないが、道南を中心にしたA湖畔、B温泉、Cアイヌ部落と足を運んでみた。
その結果ね、この現状では、やがて観光アイヌというものも和人に凌駕されてしまうな、という気を強くした。
なぜね、"人聞のオリ" などという奇妙な施設のある熊牧場に、アイヌ村が必要なのかね。
‥‥‥
それとA湖畔では、言語や動作に、明らかにアル中症状を現わしているような男が酋長格で控えていたり。
また、五十四、五歳の男が、観光団に何かを訊かれると空っとぼけていて、カメラを向けられると、チャッカリ、モデル代を要求する (Cアイヌ部落)──ね。
それと、漫談調で「俺の腕毛を一本十円で売ってやる」と、ガメツそうな年若い解説者もいたしね (Cアイヌ部落) ──。
p.207
とにかく、全道のアイヌと熊、このイメージ化は、あまりにもひどすぎる。
温泉地へ行ってもアイヌ──。
湖水を訪れてもアイヌ、ね。
はなはだしいのは、一ホテル (G地) の前にもアイヌ小屋だ。
そういう所へ、「何もわからなくてもいい。ただ坐っていりゃいいんだ──」と、アイヌたちが募集されて行く──。
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小川隆吉『おれのウチャシクマ』, 寿郎社, 2015.
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pp.68,69
そのころ [文脈から1979年頃] だ。
アイヌを北海道観光の材料に使うのがはやっていた。
仲間が見せ物にされているのががまんできない気持ちでいた。
早苗は、観光は仕事にしている人もいるんだから、あんた構うんでないと言っていた。
羊ケ丘の展望台に登別の業者が売店を出していて、その地下の六畳くらいの部屋にアイヌの婆ちゃんが一人ぼっち座らせられていた。
まわりにアイヌの着物がいっぱい下がっていて、観光客にそれを着せて一緒に写真を撮っていた。
写真屋が一枚なんぼと売る。
その婆ちゃんは口に入れ墨が入っていて、一階の売店に出てくるときはマスクをして出てくるんだ。
俺はがまんできなくて、写真屋に向かって「これ以上続けるなら文書をもって抗議に来る」と言ったんだ。
写真屋は土下座して謝った。
婆ちゃんは仕事をなくした。
全く早まったことをした。
札幌支部長やって、企業組合も立ち上げて、のぼせてたんだ。
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