Up 講義教室に押しかける 作成: 2017-02-23
更新: 2017-02-23


      太田竜「アイヌ武装反乱の微かな兆し」, 1973.
    太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.226-242.
    pp.226-229
     私は『話の特集』七二年十一月号 (本書前章参照) でシャモのアイヌ専門学者たちに警告しておいた。 北方民族研究所宣言は、着実に実行に移される、ということを。
     十月四日午後、結城庄司、新谷行及び私の三名は、東京・明治大学大学院でまさに授業を始めようとした祖父江孝男 (明大教授、八月二十五日の札幌医大における日本民族学会・日本人類学会第二六回連合大会綜合シンポジウムの座長) に対し、その場で、一時間にわたり質問と公開討論を行なった。
     その結果、祖父江孝男は、次のようなわび状を書いた。 左にこれを公表する。
     
     九月一日付、北海道新聞紙上において八月二五日行なわれた人類学民族学連合大会のシンポジウムのことを書きましたが、その際登壇されたアイヌ解放同盟および北方民族研究所のことについて記し、その場に居合わせた本多勝一氏のことばを引用して「彼等の言うことにも一理はあるが、そのやりかたはいささか小児的」と書きましたが、本多氏はそのあとから「あのことばはむしろ太田竜氏に対して自分が言ったことばであって、解放同盟会体に対して向けられたものでは決してない」と訂正して参りました。 また私自身はその時の状況を詳しく知らずに、ただこうした運動全体が小児的であるかの如き印象を一般の人びとに与えてしまったのはまことに申訳なく、ここに訂正し、お詫び致します。
     また考えてみますと、あの時のシンポジウムの準備段階においてアイヌ系の人びと、特にウタリ協会などの人びとへは事前によく連絡し、内容を知らせておくなどのことをしておくべきところであり、またあの時、最後にアイヌ系の人びとの発言を許すとの約束があったにも拘わらず、結局その約束が実現されずに終っていたことも、当日の綜合討論 (文化部門) の座長として申訳なく、ここにお詫び申しあげます。
       明治大学教授
       日本民族学会会長
       祖父江孝男
     昭和四十七年九月四日
    アイヌ解放同盟代表 結城庄司殿
    北方民族研究所代表 新谷 行殿
     

     祖父江孝男の論文 (『北海道新聞』九月一日付夕刊「北方圏の人類学と民族学」──シンポジウムを終わって・下) の問題の箇所は次の通りである。
     
    ‥‥‥ また今回の論議のなかには社会構造、親族構造の問題が全くとりあげられていないのも惜しい点だし、文化変容の過程と、アイヌ系の人びとが現在おかれている状態 (差別などの問題もふくめて) についての研究も今後の課題として考えるべきであろう。 しかし人類学者としての私たちは、この点でたちまち学者のモラルを問う根本的な問題に直面してしまうのである。
    人類学者の故泉靖一〔東大〕教授は『フィールド・ワークの記録』と題する著書 (昭四四) の序文のなかで、十勝海岸にカラフトからの引き揚げアイヌを訪ねたときのことについて、つぎのように記している。
    『丁度 (ちょうど) 一人の老人について聞き書きを行なっているとき、隣家の中年の女性が血相かえてどなりこんできた。
    "おめえたちはカラフト・アイヌがどんな苦労をしているかしるめえ。おれたちをだしにして博士さまになる気か ?‥‥‥"
    私は電光に打たれたより激しく衝撃を受け、ただあやまって調査をせずに帰ってきた。 それいらいアイヌ系の人びとにあうことが苦痛だし、調査を試みようともしない』。
     実はこのとき泉教授に同行していたのが当時大学院にいた私であり、私も泉教授と同じくアイヌ文化の研究から離れるに至ったのであった。 しかしそうかといって、アイヌ伝統文化と民族の歴史を正しく記録し、把握しておくことはまた、人類学者の行なうべき重要な課題なのである。 こうした根本的なジレンマの存在に対しては、研究者の多くが痛感しておられるところだと思うが、ひとりひとりがいっそう明確な意識をもって直面すべき課題であろう。
    そしてまたこうした問題についての討論は、あくまで冷静に行なわれるべきだと思う。
    実はこのシンポジウムの席上、演壇を占拠した青年たちは、このシンポジウム自体がアイヌ民族を亡ぼそうとする政治意図から開かれたと激しく迫ったのだが、どうもこうしたふん囲気が作られてしまうと、議論ははじめからかみ合わなくなる。
    かつて黒人やインディアンの差別問題をとりあげ、人類学者のモラルをきびしく批判したあるジャーナリストが当日、聴衆の一人として出席しており、『彼らのいうことにもたしかに一理はある。しかしそのやりかたは、いささか小児的』と述べていたのが印象的だった。