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村上島之允 (1800), p.159
アットゥシ
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村上島之允 (1809), pp.603,604
凡夷人の服とするもの九種あり。
一をジツトクといひ、二をシャランベといひ、三をチミツプといひ、四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ。
ジツトク (十徳) といへるは、其品二種あり。
一種は本邦よりわたるところのものにて、錦繍をもて製し,かたち陣羽織に類したるもの也。
一種は同じく錦繍にて製し形ち明服 (明国の官服) に類したるものなり。
夷人の傳言するところは、極北の地サンタン (山丹) といふ所の人、カラフト嶋に携へ来て獣皮等の物と交易するよしをいへり。
すなはち今本邦の俗に蝦夷錦といふものこれ也。
この二種の中本邦よりわたるところのものは多くしてサンタンよりきたるといふものはすくなしとしるべし。
シャランべといへるは、本邦よりわたるところのものにて、古き絹の服なり。
チミツプといへるもおなじく、本邦よりわたるところの古き木綿の服なり。
此三種 [ジツトク, シャランベ, チミツプ] の衣はいづれも其地に産せざるものにて、得がたき品ゆへ殊の外に重んじ、禮式の時の装束ともいふべきさまになし置き、鬼紳祭犯の盛禮か、あるは本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのみ服用して、尋常の事にもちゆる事はあらず。
其中殊にジツトクとシャランベの二種は其品も美麗なるをもて、もっとも上品の衣とする事也。
アツトシ、イタラツペ、モウウリ、ウリ、ラプリ、ケラこの六穏の衣は、いづれも夷人の製するところのもの也。
その中,モウウリは水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすべて獣皮にて造りしをいひ、ラプリは鳥の羽にて造りしをいひ、ケラは草にて造りしをいふ。
この四種はいずれも下品の衣として禮服等には用(ゆ)る事をかたく禁ずるなり。
たゞアツトシ、イタラツペの二種は、夷人の製するうちにて殊に上品の衣とす。
其製するさまも、本邦機杼の業とひとしき事にて、心を盡しカを致す事尤甚し。
此二種 [アツトシ, イタラツペ] のうちにもわけてアツトシの方を重んずる事にて、夷地をしなべて男女ともに平日の服用とし、前にしるせし鬼紳祭祀の時あるは貴人謁見の時等の禮式にジツトク、シャランベ、チミツプ三種の衣なきものはみな此アツトシのみを服用する事也。
其外の鳥羽、獣皮等にて製せし衣はかたく禁断して服用する事を許さず。
アツトシ
モウウリ
ウリ
ラプリ
ケラ
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最上徳内 (1808), p.525
服は左袵、今或は右にするものあり。
木皮を漚して糸となし、織て布となす。
麻布の麁なるがごとし。
アツツシといふ。
オヒャウといふ木を用(ふ)。
なき所にてはツキシヤニといふ木を用(ふ)、
筒袖にして襟、袖口、齊皆木綿布を裂てふせ縫にし、其間に繍を雑へて文飾となす。
形、篆文のごとく、但何に象ることなし。
意にまかせて作る。
其工最愛すベし。
婦人の衣は長(く)して紐をつく。
或は其紐に針をさし、貯、烏の脛をきりて中をうつろになし、文を刻で紐につらぬき、針の所を覆ひ、用あるときは取出して卒に應ず。
又獣皮、藁草器等に糸針を盛(り)、いづくに行にもこれを佩(び)総て女子たるもの、いか成時とても、針絲身を離すことなし。
針絲咸和人と交易して得るところなり。
故に珍重比すべき物なし。
鄙遠の所々綿乏しきは又木皮を用。
男子の衣は、背の文、繁にして華なり。
婦人の服は纔に袖、領、裾、青色布を屬(する)のみなり。
女子の袒衣は木綿布にて製(し)、袵を縫合せて、袋のごとくし、裾より頭をさし入て着す。
これをモールといふ。
兒に乳するも又必(す)すそより入(れ)て懐にいたる。
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菅江真澄 (1791), p.581
沖よりちいさき舟を磯につけて、エドモ(絵鞆)のコタンより来るメノコふたり、モヲルとて袵もなきアツシを衣て 〔袵なき衣をシヤモこれを袋といひ、アヰノはモヲルといひて、頭よりさし入て着て、むねにて紐をむすびたるものなり。凡魯西亜人の着る衣に形のひとしと。エドモより奥のメノコは、モヲルをも又スサホロとて、袖口いと広きアツシをもつねに服けり〕、‥‥
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- 引用文献
- 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
- 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
- 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
- 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
- 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
- 『菅江真澄集 第4』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.493-586.
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