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山崎半蔵 (1804), p.63
当嶋 [エトロフ] の夷人 ‥‥‥ 女は縫と申事も不知、
日外 [いつぞや] 地夷の織しアツシを彼等に見せたりしに、是は如何なる処にて拵るものそと問しに、是は地方の女夷ともの織たると申聞せけれハ、彼女夷とも是ハ/\と乍去我等小出籠組さへ皆々出来ぬ事也、是を組たるめの子共も又神の類なりと大に感しける、
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引用文献
- 山崎半蔵 (1804) :『東蝦夷地紀行』
- 所載 : 柿園主人[編]『毛夷東環記』
- 浪川健治 (1994) :「<史料紹介>毛夷東環記 (二)」, 弘前大学國史研究, No.97, 1994, pp.58-68
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