Up 「コタン」 作成: 2017-02-14
更新: 2018-12-26


      知里真志保 (1956)
    家一軒しかなくても ‥‥‥ 一時的にせよ永住的であるにせよ家の在る所を kotan と云

      高倉新一郎 (1939), p.132
    蝦夷地の村落家僅に五戸七戸なり、稀に十戸もあれば大村とするなり。」(蝦夷草紙)
     ‥‥
    余既に見及びたる家数最も多しというべきもの二十戸に過ぎず、却って一村の家数は六、七戸より、十一戸に至るなり。其部落亦、之と彼と相距る間半里あり。」(野作雑記訳説)

      Siebold (1881), p.79
    アイヌにおいては、それぞれの村落の間で、人が移動するということは全くない。
    別の村の出身者は、どこの村にも定住できないし、第二の故郷を持つこともない。
    ただ,村民の妻として迎えられる女たちだけが、例外をなすにすぎないのである。


      菅江真澄 (1791):




    引用文献
    • 知里真志保 (1956) :『地名アイヌ語小辞典』, 北海道出版企画センター, 1956
    • Siebold, Heinrich (1881) : Ethnologische Studien über die Aino auf der Insel Yesso.
      • 原田信男他 訳注『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
    • 高倉新一郎 (1939) :「アイヌ部落の変遷」, 日本社会学会『社会学年報』, 1939
      • 高倉新一郎『アイヌ研究』, 北海道大学生活協同組合, 1966., pp.129-162