Up ウカル 作成: 2018-11-16
更新: 2018-12-01


       最上徳内 (1808), p.529
    ‥‥ 此(つぐなひ)といふこと、他に刑なきによりて起たる事なり。
    小盗の類は長が家に縛することあり。
    一人と一人との事は仲だちあれば贖を出し、やまざれは打シユトといふものにてあやまちに服したる方の腰の所を(たたき)、血を見てやむ。
    これをウカルといふ。
    又シャラカムヰといふは互に怨あるとき約を定て棒をとりて撃あふなり。
    うちあふといふも初よりすきまをかぞへ、みだりにうつことにてはなく、昔より定たるしかたあり。
    棒をチヨシケニーといふ。
    (ひぢ)にこて(籠手)の様なるものを着て棒をうく。
    その名をタフシユルンべといふ。
    此シャラカムヰ、雙方見方に二百人も三百人も集り助くることあり。
    今より廿年前いたく禁じたり。
    その前まではやゝもすれば此事ありて、所々の長の勢あるものが合併の志ありて起るものは驥尾につく者多く、一人を助るのみならず聚落と聚落との得失に拘はる事に付、雙方其長が指()に従て争(に)赴く。
    卅年はかり前、テシオ川の上流より ゑそ(蝦夷)か屍 なか(流)れて、海口 これかために せ(塞)かれしこと有とそ。テシオは廣さ三百歩もあるへし。


    村上島之允 (1800), p.45
     「 ウカリと云事を、夷、暇ある時稽古す。
    三尺餘の槌を人毎に所持し、家の内に掛置けり。
    皆々集り、脊に皮薦の類ひを負、打合て手練する也。
    比地いまた文字なし。 喧嘩口論の後、負たる方にて誤證文をかく替りに所持する宝物を遣して中なをりするをツクノヒと云。
    又、棍賊女犯の罪も亦同し。 其事の軽重によりて、宝数種をとりて許容す。
    扨、宝を出さすして、ウカリせんと云時、双方親族あつまり、先罪を犯したる者を槌
    にて三度打、次に相手の者も打、たかひに打れて安全なれ、ツクノヒに及す。
    其強弱によりて只一打にて轉死する者あり。
    又、半死の病者となるもあり。
    浮身練達の者幾度打るゝとも安然たり。
    此故に平生稽古怠慢なく勤る也。」
ウカリ稽古圖


    以下,村上島之允 (1809),「八 (ウカルの部)」から引用:
    ウカルの圖


    シュトの圖


    ラゝカ(滑なる) シュトの圖



    ケフヲイ(毛のまばらにある) シュトの圖


    アカム(車の) シュトの圖


    シアユウシ(いぼの刺す) シュトの圖


      菅江真澄 (1791), p.543
    ‥‥ ホロナイのアヰノか栖家(ヤカタ)に入て,しはしとて休らふ。
    (アヰノの詞に,良屋をさしてヤカタといひ,苫屋,丸屋をさしてチセヰというとなん。)
     ‥‥
    この館のくまにはセトフとて三尺よさかの槌に鐵條をさし入れて,いと重げなるを掛たり。‥‥
    又おなしさませし短き槌子(つち)に,木絲巾(アツシ)の布をひた巻にまきたるが榻床(セッカ)の下に投棄たるは,わかきアヰノらがつねのいとまあれは,槌搥(セトフ)のわざをならはせるの具となん。


    引用文献
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
    • 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
        高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
    • 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』