Up  コタン 作成: 2016-11-24
更新: 2018-12-12


      菅江真澄 (1791)
     「 蝦夷舎村(アヰノコタン)木棹(ヲツフ)をよこたふ
    に木葉さし生ひて軒端の林をなせり
    籬堆(ツセヰ)には(チラマンデ)の孁を祭る
    樓倉には貨財を蔵し
    圍柵にはチラマンデを養ふ」


    村上島之允 (1800), p.55
     「 チセ、舎屋の名なり。
    形は方に造営す。
    間尺の量なく尋数を用ゆ。‥‥
    出入の戸は一處而已設けぬ。
    破風口より明をとれり。
    近き夷地窻を設たるも有り。
    ムルクタウシカモイとは糠塚の事なり。
    粟、稗の糠を家の後に捨る、其所一處に定めたり。
    すへて禾類神の製し給ふ物なれは、糠に至る迄粗略なきよふ神坐を設け木幣を奉る。
    本邦の人誤て不浄をあやせば、贖をとらる。
    家邊に如垣、木幣を建たる所あり。
    方名ヌシーヤ云。
    神坐として是を祭り時々獲たる鳥獣の頭を奉る。」



      Siebold (1881), p.49
     アイヌの村落は、非常に魚の多い川の付近か、もしくは鳥獣の多い山の谷間に設けられている。
    小屋が 15〜20 軒以上にも達するような村は滅多に存在しない。
    一つの小屋の居住者の数も、それぞれ 8〜10 人ぐらいである。
    村落の周辺には、いくつかの畑があり、それらは畑とも呼べないような状態のものであるが、ここには鳥獣からの被害を防ぐために、囲いをめぐらしている。
     山地に住んでいるアイヌは、鰯の漁撈の時期になると海岸へ移動し、そこで葦を使って、あまり大きくはないテントのような小屋を建てる。



  • 引用・参考文献
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
    • Siebold, Heinrich (1881) : Ethnologische Studien über die Aino auf der Insel Yesso.
      • 原田信男他 訳注『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996