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村上島之允 (1809), p.614
凡夷人の境には郷里村邑の界といふ事もあらず。
然故に住居をなすといへども人々自己の地と定りたる事なし。
いづれの地にでも心にまかせて住居を構へ、又外に轉じ移る事も思ひ思ひ、いづれの地になりとも住居をかふるなり。
たゞ家を造るに至ては殊に法ある事多し。
まづ家を造らんとすれば、其處の地の善悪をかんがふるをもて造営の第一とす。
地の善悪といへるも獵(猟)業並に水草等のたよりよき地を撰みなどいふ事にはあらず、其地にて古より人の變死などにでもありしか、あるは人の屍など埋みし事にでもあるか、其外すべて凶怪の事とふありて清浄ならざる事にてもなかりしにや、といふ事を能々糺し極め、いよいよなんのさゝわりもなき時は、其外はよろづの事不便なる地にでも、撰むに及ばず其所を住居つくるべき場所と定め、それより山中に入りて材木を伐出し、次第に造営する事なり。
家を外にかへ移す事は、其家の主人死するか、あるは主人に非ざれ共、變死する者あるか、其外すべて其家のうち、又は其家のかたわらにて凶怪の事等あるときは、そのまゝ家を焚焼して外の地の潔き處に移て住居す。
又凶怪の事あるにはあらでたゞ年久敷住たる故破壊せるに至りても、其所にて造りかふるといふ事はあらず、多くは外の地に改めたつるなり。
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但、凶怪の事にあらずして造りかふる時は、ことにより其まゝの跡にたつる事もあり。
又其破壊したる家の古き材木をもとり用ひて、本邦にいはゞ修覆などいふ如くなる事もあるなり。
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引用文献
- 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.545-638.
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