Up 生活における酒の位置 作成: 2016-12-06
更新: 2016-12-06


    アイヌは,酒が生活の中心にある。

    酒は,神事の要素である。
    アイヌの食事も,神への祈りから始まるから,酒で始まる。
    酒を神に捧げた上で,それを飲む。
    また,男たちが囲炉裏を囲めば,酒宴になる。

    アイヌは,「物欲」が無い──衣食住に対して「足る」をもっている。
    そして,足りて余った分を,酒の支出にまわす。


    Bird, Isabella (1831-1904)
    Unbeaten Tracks in Japan. 1880
    金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
     
    p.83
     [夜の] 九時ごろに汁[ル] ができあがった。 すると女たちは木製の杓子[ルルカス] で漆塗りの椀[イタンキ] にそれをよそいだ。 椀は男たちにまず渡されたが、食べるのは全員一緒だった。
    そのあと、彼らの災いの元である〈酒〉が漆塗りの(さかずき)[トゥキ] に注がれ、それぞれの杯の上に一本のすばらしい彫刻のある〈捧酒箸〉[イクパスイ] が置かれた。 これらは大変大切にされている。
    男たちは杯を持つ手を数度手前に引き上げるようにしたあと、その捧酒箸を手に取って〈酒〉に浸したのち、その神酒の雫を火に六回、そして「神」すなわちてっぺんの辺りからたくさんの白い削りかけ[イナウキケ] が螺旋状に垂れ下がった木の棒[イナウ] に数回振りかけた。
    アイヌは〈酒〉を飲んでも和人のようにはすぐに酔っ払わない。 ‥‥‥日本人だと我を忘れてしまう量の三倍ほど飲んでもまったく酔わなかった。

    p.88
    どの家にも低い壇[宝壇、イヨイキ] があり、多少の骨董品がのっていたが、これらを別とすると、生活に本当に必要なものしかなかった。
    毎年売ったり他のものと物々交換する毛皮類によって、暮らしに潤いを与えるものがもっとあってよさそうなものなのに、得たものはすべて〈酒〉に消えてしまうのである。

    p.90
     この晩[八月二五日(二日目)の晩] もその前日の晩[一日目の晩] と同じように過ごしたが、平取(ビラトリ)には〈酒〉がなくなってしまっており、「神に酒を捧げて飲むこと」が叶わず、囲炉裏[アベオイ] にも削りかけがついた棒[イナウ] にも酒を捧げずにすまさねばならなかったために、これら未開の人々の心は悲しみに沈んでいた。

    p.126
     彼ら[アイヌ] が行う犠牲を捧げる行為は、雀にいくぶん似た無益な烏[チカプ] の死骸を、皮をはしだ何本もの棒[イナウ] の一本の傍らに置き、腐乱するまで放置しておくことだけである。
    そして、主たる行為は「神のために[酒を]飲むこと」なので、酩酊と宗教儀式とが不可分に結びつくことになり,アイヌにとっては、〈酒〉を飲むほどに信仰が深く、神々の喜びも大きいということになる。 神々を喜ばせる価値を十分にもつものは〈酒〉以外には何もないようである。 火[の神]と皮をはいだ棒[イナウ]への献酒が省かれることは決してなく、〈酒〉を盛った杯[トゥキ] を手前にゆらせながらそれを行う。

    pp.132,133
     彼らはある種の木の根から一種のアルコール飲料を作るほか、自分たちが栽培する雑穀や日本人[和人] が栽培する米からも酒を作る。
    しかし、好むのは日本の〈酒〉[清酒] だけである。
    それで、稼ぎのすべてをこれに費やし、ものすごい量を飲む。
    これは彼らが知る、あるいは考えつくことのできる最高によいものとなっている。
    泥酔することがこの哀れな未開の人間があこがれる最高の幸福になっており、彼らからすると、この状態が「神々のために飲む」という作り話の下で正当化されるのである。

    pp.141,142
    門別は強風が吹きつける場所に当たり、アイヌと和人のぼろ家が二七戸寄り集まるこの上なく惨めなところだった。 ここでは今、[鰊を獲って] 魚油を作ったり海藻[昆布] を採る短期の仕事の最盛期で、余所(よそ)からやってきた多数のアイヌと和人が雇われている。 しかし、波が高くて舟を出せないために、大酒を飲んで酔い潰れていた。 至る所に〈酒〉の匂いがあふれ、酔っ払いの男たちが千鳥足でうろついたり、地面に大の字になって倒れていた。 酔いが覚めるまで、犬のように寝転んでいるのである。 アイヌの女たちは酔っ払った夫を家に連れ戻そうと無駄骨を折っていた。
    ‥‥‥
    戸長から聞いた話だと、アイヌは和人の四、五倍飲んでも千鳥足にはならないという。 とすると、この地では〈酒〉は[英国の] カップ一杯分が8ペンス[18銭6厘] もするから、千鳥足になっているアイヌは6、7シリング[1円68銭〜1円96銭]もの金を〈酒〉に費やしてしまったことになる!


    Batchelor, John (1854-1944)
    Ainu Life And Lore ─ Echoes of A Departing Race. 1927
    小松哲郎 訳『アイヌの暮らしと伝承──よみがえる木霊』,北海道出版企画センター, 1999.
     
    p.15
    だが、時代の移り変わりは、この人びとにとってまことに無常なものである。
    人びとは何時もつらくなるまで働き、時には明日の食事をどうやって手に入れるかと考えながら暮らしている。
    人びとの多くはその日暮らしに追われているのである。
    とはいってもこの人たちの暮らしは、東京、大阪、函館、札幌のような都市部に住んでいる貧しい和人たちの暮らしと較べてみると、決してそんなにひどいものとは思われない。
    この地の人びとにしても、暮らして行くだけであればそんなにまで苦労は要らないことをよく知っている。
    暮らしの妨げとなっている最大の敵は過度の飲酒なのである。
    飲酒の習慣さえ無くせば、人びとはすぐにでも幸せに満ちた裕福な生活を送ることが出来るのであるのだが。


    砂沢クラ (1897-1990)
    『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
     
    p.196
     夫は、旭川では江部乙から連れてきた馬を使って馬追いの仕事をするはずだったのですが、親せきが訪ねてくると昼間から酒を飲み、たまに働きに出ても、すぐに帰ってきて、飲み仲間と酒を飲み始めるのです。
    来たばかりのころは夫も客もおとなしく飲んでいたのですが、そのうち酔うと必ずケンカが始まるようになりました。
    何人もの男たちが大声で怒鳴り合ったり、なぐり合ったり。

    p.208
     タラオマツプでの落ち着いた暮らしは六、七カ月で終わり、旭川の母の家で、酒を飲んでは暴れる暮らしが始まりました。
    夫の飲み仲間は、「あそこへ行けば飲める」と、それだけで集まってくるのに、夫は人が寄るのがうれしく、いくらでも飲ませるのです。
     毎晩、毎晩、酒盛り続き、ほんとうに、私の家は酒場のようでした。
    取っ組み合いのケンカはしょっちゅうで、夫は耳がとれるほどのケガをしたり、玄関の戸を壊したり。
    心の安まる時はありませんでした。