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高倉新一郎 (1974 ), p.42
アイヌは漁猟を主とし、
南部の比較的暖かい地方、石狩から日高地方にかけては、きわめて粗放な農業を営んでいて、
手に入るものを食べていた。
それでも、主なものは
春に産卵のために大群をなして海岸に寄せてくるにしん、
夏に川をさかのぼってくるます類、
秋に産卵のために川をさかのぼる鮭、
冬の猟の対象である鹿
などであり、それに
とど・あぎらしなどの海獣
が加えられていた。
食事の回数も一定せず、
料理法も肉・野菜・穀物などを混ぜて煮たものが普通であった。
特徴といえばこれに油を加えたことで、油は多くくじら・あざらし・まんぼうなどからとり、皮袋に入れてたくわえてあった。
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Siebold (1881), p.85
アイヌは、一種のスープを主食としており、鹿や熊やほかの野獣の干した肉か、もしくは、その新鮮な肉をいろいろな野菜や根菜といっしょに茹でて、スープを作るのである。
このスープは、一日二回、すなわち朝と晩に食べる。
川か海の岸に住んでいるアイヌは、干した魚も新鮮な魚も喜んで食べるし、それに必ずたくさんの酒も飲む。
和人を通じて入手する米は、アイヌの食べ物の中では、きわめて副次的な役割しか演じない。
彼らは稗のほうが好きであり、いくつかの種類を自分で作っている。
貝やカニからも料理を作るが、調理法のせいで、食欲をそそるものではない。
お茶は、和人によって初めてもたらされた。
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日本の芋もヨーロッパの芋も、蝦夷で豊かに実り、アイヌには人気がある。
揚げ物には、鰯の一種の油、または鹿や熊の脂も使われる。
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Batchelor (1901), pp.182-186
アイヌの食べ物は、どんな場合にもヨーロッパ人が好むものでないが、ちゃんと調理されれば、危急(ピンチ)の場合には歓迎されなくはない。
たとえば新鮮なサケ、タラ、シカの肉、クマの肉、豆、アワ、ジャガイモ、エンドウ豆は、正しい仕方で料理されると、それ自体はすべておいしい。
しかしアイヌは料理の仕方を知らない。
彼らは、よく乾燥してない魚で強い味つけをしたシチューが大好きだ。
ほとんどあらゆる種類の食べ物はシチュー鍋に投げ込まれ、少なくともわれわれの味覚によると、そこで完全に台なしにされる。
しかし彼らの食べ物は必ずしもこのような仕方で料理されるのではない。
というのは、魚はときどき火のまえであぶられ、ジャガイモは炉の灰のなかで焼かれるからである。
空腹な人には、このような物は、おいしく楽しい食事になり得る。
彼らは、サケ、マス、若いサメ、メカジキ、クジラが非常に好きだ。
また肉については、クマの脂肪と骨髄、シカの腰の肉、ウマか去勢した牡ウシの内臓を含むあらゆる部分が好きである。
海草、いろいろなハーブ、ある種のユリの根、多くの水草、ギョウジヤニンニク leek [この英語は本来ネギ、しかしここではアイヌ語の pukusa、プクサ、または kito、キト、行者ニンニクを指すのだろう]、およびエゾネギ onion [アイヌ語 shikutut、シクトュツ] が、野菜として用いられる。
他方、ライチョウ、野生のガチョウおよびアヒルは、猟の獲物である。
カタクリの根を掘り、だんごにして、食べ物として用いることは、さきの章で述べた。
同じことは、アイヌがトゥレプ turep とよぶオオウパユリ lilium Glehni, Fr. Schm [現在の学名は、Cardiocrinum Glehni Mkino] にもいえる。
というのは、人々はこの植物の球根を食品として広く使うからである。
彼らはそれをつぎのように調理する。
球根をよく洗ってから、それを臼のなかで生の状態で砕く。
粉末、あるいはより微細な部分──それはイルプ irup [かす、粉] とよばれる──は、より粗い部分から分離され、天火で乾燥される。
食べるときには、これは一般に粥状にされて、粟か米とともに煮る。
より粗い部分──それはしばしばシラリ shirari とよばれる──は、すぐに煮、それから再び砕き、桶に入れて、分解させる。
徹底的に発酵したとき、それを再び煮、砕く。
その後、それを真中に穴のある大きなだんご──それはオントゥレプ onturep、あるいはトゥレプ・アカム turep-akam [アカム=円盤、あるいはリング] とよばれる──にし、ぶらさげて乾燥する。
食料として必要なとき、アイヌはそれを粟の鍋に投げ入れて、それらを煮る。
一言述べると、小麦は、やけどのさいに薬として、ときどき用いられる。
アイヌがノヤ noya とよぶヨモギ Artemisia vulugari, L. の茎と葉は、早春にそれが非常に若いときに、食料としても用いる。
それらは摘み取られ、まず煮てから、つぎに木の臼でよく搗き、最後にだんごにし、将来使うために乾燥させる。
しかし最初に粟か米と一緒に搗いてから、かなりの量を直ちに食べる。
これは非常に栄養のある食べ物で、それ自体で生命を保持し、肉体を十分に健康状態に保つといわれている。
それは非常に甘い味がするといわれ、人々はそれがたいへん好きだ。
古代のアイヌはこのハーブをいつも大量に食べて生きていたという話をわれわれは聞いている。
それは、一度ならず飢謹の問、彼らを生き抜かせた手段だった。
その年のもっと後で、この植物が古くなると、(茎なしで) 葉だけを摘み、その葉を将来使うために乾燥させる。
栗もまたアイヌの間では、重要な食料である。
彼らはそれをいろいろな方法で調理する。
そのなかでお気に入りの方法は、それをよく煮、それから皮をむき、それを砕いて、ねり粉にすることである。
その後、それを粟か米と一緒にもう一度煮て食べる。
砕いた栗をサケかマスの卵と混ぜ、それらを一緒に煮るのが、非常に美味だと考えられている。
もう一つの方法は、栗を動物の脂肪とマッシユ(ドロドロ) にすることである。
ときどき栗を焼いて食べるが、その場合には食事としてではない。
栗のこの調理法は、なにか他のものよりは、楽しい気晴らしとみられている。
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食べ物を皿に盛ることはない。
主婦はシチュー鍋が火の上にぶらさがっているときに、鍋から食べ物をすくい、目指す人にそれを渡す。
この利点の一つは、夕食を真に温かくさせることである。
肉やプリンの容器は必要とされない。
訪問客が最初に食事を供せられ、つぎに夫、最後に家族の残りのメンバーに供せられる。
アイヌでは、食器の供給は非常に限られている。
もし茶碗が食事をとるすべての人に行き渡るほど十分にないなら、二人、あるいはそれ以上の人は同じ茶碗を用いなければならない。
しかしこういうことはあまり起きない。
というのは、家族の各メンバーは、一般に自分自身の茶碗か貝がらを寝る場所の近くに安全にしまい、必要なときに取り出せる準備をしているからである。
一人の人がもっと食べ物が欲しいときには、私の茶碗を一杯にしてくださいと主婦にたのむのがいい。
もし彼女が非常に忙しいか、あるいは彼女が少しでも親しくなりたいと思っているなら──たとえば、彼女が友達か親類のなかにいるとき──彼女は鍋の蓋を取って、ひしゃくを指すだけで、その人が自分自身で盛るようにとそれとなく指し示す。
アイヌは食べ物の扱いが清潔だとほめることはできない。
彼らは深い鍋か平たい鍋をめったに洗わない。
まして自分の食器を洗わない。
それゆえ、人差し指は、アイヌ語では、イタンギ・ケム・アシキペッ itangi kem ashikipet、すなわち、「お腕をなめる指」[イタンギ、イダンキ=お椀、ケム=なめる、アシキベッ=指] と言うことを述べる価値がある。
それがそうよばれるのは、人々は一般にまず食器の内側を人差し指で拭い、それから人差し指をなめて、食器をきれいにするからである。
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私が最初にアイヌを訪れたとき、彼らの多く、とくに家族の長が、食事のまえに、天帝のやさしさを認め、天帝に感謝を捧げているのを見て、たいへん驚いた。
彼らがいつもこうしていると私は言うつもりはないが、彼らはみなそうするように教えられ、一組のきまり文句でそれをする。
また酒を飲むまえにあいさつをしなかったり、あごひげをなでなかったり、礼拝しなかったり、自分たちの利益に対して天帝に感謝をしないようなアイヌに私はまだ一度も会ったことがない。
彼らの「食前のお祈り」の一つは、こうである。
「おお、天帝よ。私たちを扶養している者よ。私はこの食べ物のためになんじに感謝します。私の体の役に立つこの食べ物を賛美します」と。
ここで、この毎日の普通の行為から、アイヌの宗教的信仰の一箇条──すなわち、アイヌは、自分たちが毎日の食べ物を手に入れる上に頼りにしている自分たちを超越している力や、自分たち自身の内部の能力によって祈願し、感謝を表明すると近づくことができる自分たちを超越している力を信仰しているということ──がわかる。
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Batchelor (1927), p.82
この北海道では、様々な果実が豊かである。
何種類かの大変味の良いラズベリー (キイチゴ[苺]) が採れるし、草イチゴもある。
山ブドウも多く育ち、大変酸っぱい昧がするが、それでも人びともヒグマもこれを好んで食べる。
この山ブドウは、保存することはしない。
実が丁度熟れた頃か、その少し前に集めて来て生食する。
小さなクワ(桑)の実は、所によっては沢山あってこれは大変甘い味がする。
このクワの実と苺はジャムにする。
コケモモ(苔桃) も所々に生育している。
食用にするサルナシ(猿梨・こくわ) は多く、これはほど良い味がして美味しい。
ヒグマはこの実を無性に好んで食べる。
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ヨモギ(蓬)は早春の頃、未だ若い茎も葉も食用としていた。
この植物を摘んで来て、茹でて臼で搗き、丸めて干してきぴ置いて保存食にした。
採りたてのヨモギを黍や米と混ぜて搗き、一度に沢山の量を食べていた。
この植物は大変滋養に富み、食用になるだけでなく、立派な食料でもあり、さらには健康を維持するための食品でもあったという。
ヨモギには大変香りの良い風味があって、人びとはこれを大そう好んで食べる。
ずっと昔、アイヌ民族はこの植物を主食としていたので、一度ならずこれで飢鐘の時を切り抜けることが出来たという。
栗の実は、茄でて皮を剥き、搗いて鮭の卵と混ぜて食べる。
また、この魚の卵と栗の実を一緒に搗いて煮るが、この時に獣の脂身を加えることもある。
これは栄養価も高く大変旨いものであるが、消化のしぬくい料理である。
これはその儘でも食べるが、普通は丸めて焙って食べる。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- Siebold (1881) : 原田信男他[訳注]『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
- Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
- 安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995
- Batchelor, John (1927) : Ainu Life And Lore ─ Echoes of A Departing Race
- 小松哲郎 訳『アイヌの暮らしと伝承──よみがえる木霊』,北海道出版企画センター, 1999.
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