生食は,危ない寄生生物に感染する危険がある。
そこで,ヒトの「自然選択」のダイナミクスは,食べ物によく熱を通す料理法を残すことになる。
アイヌの「シチュー」は,このように捉えることになるものである。
|
最上徳内 (1791), p.31
蝦夷土人惣て、食する盤を用いず只椀一つを用い、汁菜をも食せず、
味噌、塩も無ければ、魚肉獣肉に或は草根などを糝し、水煮にして食す。
稀に潮水を以て塩梅するもあり。
食物多く有ときは終日終夜無数に食す、又食物なき時は二、三日も食せざれども敢て憂うることなし。
|
|
|
串原正峯 (1793), p.496
蝦夷食糧の事は常々おもに魚類を食し、
是も漁に出、さし網又はアチウカニ 和名ヤス、柄の長さ四間計、是をもって海魚を突なり。
海底深き所は足し柄をなして、海底へおろし突なり。
右獲たる所の魚を海水を以て煮て食す。
貯置には干魚となして圍ひ置なり。
秋より冬は海上荒て漁獵なりがたき故、夏中飯糧になす草を取て貯置なり。
取たる時直にも食す。
これも汐水にて煮て食するなり。
右草飯糧に貯ゆるには、能干て臼にて搗はたきて、糟をはかためて餅となし、粉をば水干して葛のことく製し貯置なり。
食するには是を丸め、魚油にて煮て食す。
又は湯煮にしても喰ふ事なり。
|
|
|
Siebold (1881), p.85
アイヌは、一種のスープを主食としており、鹿や熊やほかの野獣の干した肉か、もしくは、その新鮮な肉をいろいろな野菜や根菜といっしょに茹でて、スープを作るのである。
このスープは、一日二回、すなわち朝と晩に食べる。
|
|
|
Batchelor (1901), pp.182-186
アイヌの食べ物は、どんな場合にもヨーロッパ人が好むものでないが、ちゃんと調理されれば、危急(ピンチ)の場合には歓迎されなくはない。
たとえば新鮮なサケ、タラ、シカの肉、クマの肉、豆、アワ、ジャガイモ、エンドウ豆は、正しい仕方で料理されると、それ自体はすべておいしい。
しかしアイヌは料理の仕方を知らない。
彼らは、よく乾燥してない魚で強い味つけをしたシチューが大好きだ。
ほとんどあらゆる種類の食べ物はシチュー鍋に投げ込まれ、少なくともわれわれの味覚によると、そこで完全に台なしにされる。
‥‥‥
食べ物を皿に盛ることはない。
主婦はシチュー鍋が火の上にぶらさがっているときに、鍋から食べ物をすくい、目指す人にそれを渡す。
この利点の一つは、夕食を真に温かくさせることである。
‥‥‥
アイヌは食べ物の扱いが清潔だとほめることはできない。
彼らは深い鍋か平たい鍋をめったに洗わない。
まして自分の食器を洗わない。
それゆえ、人差し指は、アイヌ語では、イタンギ・ケム・アシキペッ itangi kem ashikipet、すなわち、「お腕をなめる指」[イタンギ、イダンキ=お椀、ケム=なめる、アシキベッ=指] と言うことを述べる価値がある。
それがそうよばれるのは、人々は一般にまず食器の内側を人差し指で拭い、それから人差し指をなめて、食器をきれいにするからである。
|
|
|
高倉新一郎 (1974 ), p.42
食事の回数も一定せず、
料理法も肉・野菜・穀物などを混ぜて煮たものが普通であった。
特徴といえばこれに油を加えたことで、油は多くくじら・あざらし・まんぼうなどからとり、皮袋に入れてたくわえてあった。
|
|
引用文献
- 最上徳内 (1791) :『蝦夷風俗人情之沙汰』(『蝦夷草紙』)
- 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.19-115.
- 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
- Siebold (1881) : 原田信男他[訳注]『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
- Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
- 安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
|