Up 常時交易/運上屋 作成: 2016-07-21
更新: 2018-12-24


      高倉新一郎 (1966), pp.47-49
    運上屋と呼ぶ交易所が設立され、交易はそこで常時行われるようになった。

      高倉新一郎 (1974), p.138
    アイヌとの交易は後に、一定の運上金を納入することを約束して、この交易の実務に当たる場所請負人と呼ぶ商人の手に移り、
    商人は支配人・帳役・通詞 (アイヌとの通訳に当たるもの)・番人 (支配人・帳役の指示によって働くもの) などを派遣し、
    要所に運上屋と呼ぶ交易所、番屋と呼ぶその出張所を建て、
    アイヌの欲するものと物々交換をした。
    その際にもオムシヤは引き続き行なわれ、
      アイヌと和人が貸借を精算し、交歓する
    年に一度の大行事となって、明治初年の場所請負制度の廃止にと及んだ。

      同上, p.139
    こうして得た交易品は松前に輸送され、松前産の商品と共に本州の商人に販売された。
    毎年春になると諸国の商人が松前での必需物資を船積みして松前に来航した。
    藩はこれらの荷物を問屋を通じて売買させ、北海道からの生産物も同様にして、その売上げから一定の歩合で役銭をとった。 これを沖の口役銭といって、松前落の有力な財源であった。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1966) :『蝦夷地』, 至文堂, 1966.
    • 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974