Up カテゴリー 作成: 2017-01-09
更新: 2017-01-09


     知里真志保『分類アイヌ語辞典 第1巻 (植物篇)』(1953)
     in 『知里真志保著作集 別巻 1 (分類アイヌ語辞典 植物編・動物編)』平凡社, 1976.
     「序言」, pp.1-16.
     
    pp.8-13.
    従来の文献に見られる欠陥(8)
    ──植物に対するアイヌの考え方の無視──

     従来の文献に見られる最大の欠陥,まことに致命的とも云うべき重大な欠陥わ,植物に対するアイヌの考え方を根本から無視したことである。
    そのために,アイヌ語の植物名に関して,まことに致命的な誤謬が,アイヌ語の植物名を記述している凡ゆる文章に於て,ーの例外もなしくりかえし犯されているのである。
    以下,そのことについて,項を分って,いささか詳しく説いて見ようと思う。

     1) アイヌ語にわ木の名も草の名も存在しない──
     実を云えば,アイヌ語に於てわ,巌密な意味でわ,木の名も草の名も本来存在しないのである。
    こう云えば,恐らく何を馬鹿な,と思う人が多いであろう。
    もしアイヌ語に木の名も草の名も存在しないならば,従来の学者は総ペて虚偽を書いていたとゆうことになる。
    ──事実,そうだったのである。
    アイヌに於てわ,木や草の部分部分の名わ存在するけれども,その木その草全体を表わす名称わ,もともと存在しなかったのである。
     例えぽ,エゾノエンゴサクの塊茎を「トマ」(tomá) と云い,葉を「トマラハ」(tomáraha) と云い,花を「イトーベシラ」(itopenra) と云うがエグノエンゴサクそのものを表わす総体的な名称わ,アイヌ語にわ全く無いのである。
    それを従来の著書わ申合せたように「エゾノエンゴサク あいぬ名トマ」(『樺太の植物』 p.185) ,の如く記述しているのである。
    エゾノエンゴザクなる和名に相当するアイヌ名わ,始めから存在しないのである。
    パチラー氏の辞書わ,「トマ」なるアイヌ語に対して,"エゾノエンゴサク。Corydalis ambigua Cham. et Schlecht.", の如き説明を与えているが,これわ植物に対するアイヌの考え方を無視した誤訳である。
    正しくわ,「エゾノエンゴザクの塊茎」とすべきことわ勿論である。
    これわ凡ゆる植物に就いて云えることである。

     2) 凡ゆる槌物の和名にわ二種の意味がある──
     日本語のフキと云う語にわ二つの意味がある。
     「フキが芽をだした」と云った場合のフキは,Petasites japonicus なる生物そのものの名である。
    ところが「 フキの煮付」などと云う場合のフキわ,Petasites japonicus なる生物の体の一部分,即ちその葉柄の部分のみを表わすに過ぎない。
     これわイモなる語に就いて見ても同様である。
    「イモの花が喚いた」と云った場合のイモわ,北海道の方言としてわ,Solanum tuberosum なる生物そのものをと表わす名構であるが,「イモの塩煮」などと云う援合のイモわ,その生物の体の一部分なる根茎を表わすに過ぎない。
    フキやイモに限らず,凡ゆる植物の和名にわ,この二つの意味,──すなわち,(イ) その植物全体を表わす場合と,(ロ) その植物の体の一部を表わすに過ぎない場合とがあるのである。
    然るに,植物の専門書わもとよりのこと,凡ゆる国語辞典が,この (ロ) の意味を見落しているのである。
    しかも,発達の順序から云えば,もちろん,(ロ) の意味の方が先にあったのであり ,(イ) の意味わ後からの発達と考えられる。
    アイヌ語の植物名に於てわ,(ロ) の意妹のみがあって,(イ) の意味わ未だ充分発達するに到っていないのである。
     一体,アイヌに於てわ,生活に利害関係を有する植物にのみ名が附き,しかも,その利害関係を有する部分にのみ先ず名が附くのが常則であるから,その意味に於て,花・葉・茎・根・皮・果実等にそれぞれ別に名が附いていても異とするに足りないわけである。

     3) アイヌの植物名わ必要ある部分にのみ附く──
     アイヌの植物を利用する目的にわ,器具器材を造り,燃料を採り,衣料を採り,食料飲料を採り,薬用呪術用にも供し,遊戯や玩具などにも利用する等,種々の場合があり,それぞれの目的に応じてその利用する部分を異にしている。
    その利用する部分に就いて云えば,根を利用するもの,茎を利用するもの,茎と葉をと利用するもの,葉のみを利用するもの,皮を利用するもの,果実を利用するもの等々,これも種々の場合があり,その利用している部分にのみ特別の名を附している場合が多いのである。
     例えば,谷地蕗 (エゾリュウキンカ) でわ,その利用する部分わ根だけである。従って,その根の部分だけに「アハト゚リ」(áxturi) とゆう名が附いているのである。それを従来の著書わ,これがあたかもこの植物全体を表わす名称であるかの如く思い誤って,“ヤチプキ (毛茛科) アイヌ名アツツリなどの如き書き方をして顧みなかったのである (西鶴定嘉「樺太アイヌ』 p. 110) 。
     これはほんの一例であるが,ひとり根だけでなく,茎に就いても,葉に就いても,其の他の部分に就いても,同様の誤解が支配していたのであって,これらわ総べて,既に述べた如く,植物に対するアイヌの考え方を根本的に無現したことから生じた間違だったのである。

     4) 一つの植物も用いる部位によって名称を種々にする──
     植物によってわ,根も,茎も,葉も,時にわ花までも,利用するものがある。そのように,利用する部分が種々ある場合にわ,その各々の部分にそれぞれ別の名を附けるのが,アイヌに於ける植物命名法の常則である。
    従って,一つの植物が,それぞれの部位に於て,種々名称を異にする例が幾らもあるのである。
     エゾノエンゴサクが,その塊茎と,葉と,花とに,それぞれ別の名を有することわ既に述べたが,尚一二例を拳げるなら,蕗わその根と,葉柄と蕾とを食用に供し,その葉も物など包むのに利用するので,それぞれ特別の名が附いている。
    根わ「キナサパ」(kiná-sapa) と云い,葉柄わ「ルイェキナ」(ruyé-kina) と云い,葉わ「コリヤム」(koríyam) と云い,蕾 (所謂フキノトォ) わ「ピーネキナ」(píne-kina) と云うのである。
    エゾマツの茎 (根と葉とを除いた部分) を「スンク」(sunku) と云い,その皮を「ヤラ」(yára) と云い,その枝根を「メチロ」(mechirox) と云う。
    皮わ屋根や壁を葺くのに用い,枝根わ物を綴じたり縛ったりするのに用いて,それぞれ特別の用途を持っているために,特別の名が附いているのである。
    ハマナシの茎わ「マゥニ」(máw-ni) と云い,その果実は「オタルッ」(otárux) と云う。
    これも果実わ食用に供し,刺のある茎わ魔除けに利用するからである。

     5) 同じ部分に種々異る名称が附く──
     ハナウドの生の茎を樺太でわ「ハラ」(hará) と云い,根生葉の葉柄を「シト゚ルキア」(sitúru-kina) と云う。
    「伸び出た草」の意味であるらしい。
    アイヌわこれを取って来て,皮を剥いて食べたり,裂いて乾して越年用に貯蔵したりする。この皮を剥いたものを「チキサキナ」(chi-kísa-kina 我ら・皮をむいた・草) と云い,裂いたものを「チペレキナ」(chi-pére-kina われら・裂いた・草) と云い,越年用に貯えているものを「チエイヌンキナ」(chi-e-inun-kina 我ら・それを・貯えている・草) と云うのである。
    然るに,或本には,"ハナウド あいぬ名 スツルキナ チベレキナ",と書いてあり (『樺太の植物』 p. 247) ,また "エゾニウ あいぬ名 ハラ",とも書いてあって ( 上掲書 p. 245) ,「シト゚ルキナ」や「チペレキナ」がハナウドを総称する名称と思い誤っているばかりでなく,「ハラ」なるアイヌ語をエゾニウの総称であるかの如く誤解している。
    また或本にわ,"花ウド (píttok,樺太 hara,方言サク) ",とある (金田一博士『採訪随筆』 p.138)。
    pittok わハナウドの総名でわなく,根生葉の葉柄をさす名称であり,また hara わ,もとの形が har で,それわ北海道の方言と同じものであり,かつ,これもハナウドの総名でわなく,中心に出る中空円柱形の茎をさす名称である。
    また或本でわ,"ハナウド (五加科) アイヌ名スツルキナ",と記し,尚 "シユツルイキナの訛であろう。根の太い草の義。高さ二米に達する草木で云々" と説明している (西鶴『樺太アイヌ』 p. 108) 。
    しかし,ハナウドわ,ウド科などでわなく,サンケイ科である。
    またこの語原解も植物の実際に即しない謬説である。
    「シト゚ルキナ」わ葉柄であるから,高さ2米に達するなどとゆうことわあり得ない。
    以て,従来の著述にわ,いかに出鱈目な,学問の名に値しない記述が多かったかを見ることができるのである。

     6) 「キナ」及び「二」なる語の意義に就いてー──
     バチラー氏の辞書で「キナ」(kina) とゆう語を引いて見ると,"大なる草の総称。‥‥‥ A general name for grasses and herbs of the largerkinds …… " とある。
    「キナ」を「大なる草の総称」とすることは誤である。
    "キナと名のついたものでも相当小さいものもある" (『コタン生物記』p.48) のであるし,アイヌにわ木でも草でもそれを総称する名称の無いことわ,上来繰返し説いた所である。
     一体,「キナ」とゆうアイヌ語を,「草」と訳すことすら,実わ問題なのである。この語わ
      「ルイェキナ」(ruyé-kina) (フキの葉柄) や「シト゚ルキナ」(sitúru-kina) (ハナウドの葉柄) の時わ「葉柄」だけを指し,
      「パラキナ」(pará-kina) (ミズパショォの葉) や「エルムキナ」(érum-kina) (オオパコの葉) の時わ「葉」のみを指し,
      「 アイェンケキナ」(ayénke-kina) (エゾアザミの茎葉) の時わ「茎葉」全部を指す
    のである。
    従って,「アイェンケキナ」とあるのを単に「エゾアザミ」と課すのわ誤であり「エゾアザミの茎葉」とまで訳出するのが正しいのである。
    逆に,エゾアザミに対して直ちに「アイェンケキナ」当てるのも誤なのである。
     同様に,「二」(ni) とゆう語をパチラー氏の辞書で引いて見ると "樹。‥‥‥A general name for trees ‥‥‥" としてあるが,これも正しくない。
    「二」わ木本植物からその根と葉とを除いた部分を云うのである。
    従って,「アィカン二」(áykan-ni) や「アィマン二」(áyman-ni) を,それぞれ「ハイイヌツゲ」「 ハイネズ」などと訳すのわ誤であって,正しくわ「ハイイヌツゲの茎」とか「ハイネズの茎」とかしなければならないのである。