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久保寺逸彦 (1956), pp.7,8
「談判 (Charanke) の詞」なども、おのおの部落 kotan を代表する雄弁をもって鳴る者が、相対して、落ち着き払って、さながら謡曲を謡い、浪曲でも語るように、太く重々しい声調で吟詠して、一句一句、婉曲に、相手の非を責めていくものである。
しかも驚くべきことには、徹頭徹尾、神話や故事の知識を背景として、美辞と麗句の応酬が幾時間も、あるいは夜を徹しても、時としては数日にわたっても続けられていくことである。
かくして、ついに理屈につまるか、あるいは気力の上で相手から圧倒されてしまうか、体力的に疲労しつくした方が敗けとなり、勝った相手の要求するだけの賠償 ashimpe を取られて鳧がつくので、いわば、一種の歌の掛け合いとも見られるものである。 ‥‥‥
[狩猟域 iwor のことで談判する中の一節]
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Shine metot
e-we-turashp
a-usamomare
a-kor pet ne yakun
shine hapo
uren toto
e-shukup utar
korachi anpe
a-ne wa shir-an.
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同じき水源の山へ
川伝ひに溯り行き
相並び合ふ
我等が川なれば
同じ慈母の
両つの乳房
もて育ちたふ
さながらの
我等にあらずや。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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