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久保寺逸彦 (1956), pp.11-15
神禱の詞 Kamui-nomi-itak の一例を挙げよう。‥‥‥
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Kina -ushi kotan
kotan seremaka
ko-pase kamui
Shirampa kamui!
kamui ekashi !
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杵臼村の
村の背後に守護として
尊く在す神なる
森の大神よ!
神なる翁よ!
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shisam shinot
a-koikar kusu,
apane utar
anunne utar
shinot teksama
ewekarpa awa,
nishpa kotan
Nioi-kotan wa
apkash a kur
shukup okkaipo
shinot kurkashi
ko-appene katu
eor-koshne-ko
chimoneanu.
kimatek tap
ku-ne akusu
yai -asurani
ku-ki hawe-ne.
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和人のなす競技を
我等(アイヌ)も真似て、
我が親戚の人々も
他人の方々も
競技の場所へ
集ひ来れるに、
長者の村なる
荷負の村より
来られし人
うら若き青年は
競馬に出でて
誤ちて
甚だ大事にも
物に衝りて落馬しぬ。
慌て驚きし
我なれば
事の仔細を(神々に)告げ
知らせ奉る次第なり。
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Kina-ushi kotan
kotan sermaka
ko-punkine utar
ko-haita kunip
ku-yai-niukeshte na.
ikineipeka
chikoramputuye
aene-karkan na.
kewor kane
newane yakne,
Nioi-kotan
nishpa kotan
kotan sermaka
ko-pasere-rok -kur
shi-apapure
a-ki kuni
ku-yai-niukeshte na.
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杵臼村の
村の背後を
守りいます神々の
守護に手落ちありとは
我なし難し。
努々
この事を見捨て
給ふことあるべからず。
一命にもかかはること
ありとせば、
荷負の村
長者の村の
村の背後に
鎮まります神々にも
(非難せられて)お詫びせらるる
やうなことをなさるるは
我等の忍び難きところなり。
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〔注〕後段二四句以下は、
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このような凶事が起こったことは、この杵臼コタンの守護神たちの守護のし方が悪かったためとは思えないが、もし負傷者が死ぬようなことがあれば、あなた方も負傷者の出た荷負コタンの守護神たちに申し訳ないこととなり、お詫びしなければならぬようなことになるだろう。
そんなことをさせては、われわれ村人としても忍び難いところであるから、どうか一所懸命に目を配って、負傷者を蘇生させ、元の身体に快復できるようにして戴きたい
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という意味である。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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