Up 誦呪の詞 作成: 2019-01-11
更新: 2019-01-11


      久保寺逸彦 (1956), pp.15-28
    誦呪の詞 Ukewehomshu-itak の一例を挙げて見よう。
    ukewehomshu とは、変死者・横死者等を生じた際、あるいは火災・洪水等の災害が起こった際、その一村を挙り、また、遠近の村々からも男女が弔問応援して行う重い宗教的儀礼を意味する語である。
    アイヌの考え方によれば、上に述べたような凶事・凶変は、すべて、善神と人間とが享受する幸福と繁栄とを羨み嫉む魔神の所為とされるので、
    この魔神を威嚇し畏怖せしめ、遠い国土の果てへ、あるいは宇宙の最下底にありと想定せられる「陰湿の下界 teine-pokna moshir」に踏み落とすことにより、今後、人間界に近づけしめないようにするとともに、
    一方、人間を守護する善神を声援し、今後は魔神を油断なく監視するようその注意を喚起する
    ことを目的とするものである。
    部落の酋長 kotan-kor-kur, ottena、あるいは長老 por-ekashi が村人の列の先頭に立ち、
    男子は、いずれも右手に太刀 emushu を抜き持ち、rorumpe-kuwa (凶事の杖) と称する杖を左手につき、
    女子は、これも「凶事の杖」を左手につき、男子の列の後に従い、
    一定の順路をたどって行進し、
    祭壇 nusa-san の前に到ると、一旦停止して横隊となり、
    先頭の酋長もしくは長老は、「神々に対する誦呪の詞 Kamui kewehomshu itak」を述べ、
    再び行進を開始して、変死者あるいは罹災家族およびその親戚等の整列している前に到り、
    停止して横隊を作り、
    信長もしくは長老が代表して、「人々に対する弔問・誦呪の詞 Ainu kewehomshu itak」を述べる。
    行進の際は、男女とも、一歩一歩力足を踏みしめ、
    一歩ごとに (あるいは、行進路の曲がり角ごとに)、
    男子は太刀を持つ右腕を前後に屈伸し、"hu ō hoi ! hu ō hoi !" と雄誥(おたけ)びの声 okokse, hokokuse を発し、
    女子も、また、右手の拳を握りしめ、右肘を前後に屈伸しつつ、男子の雄誥びの声に応じて、癇高い声で "uōi ! uōi !" (女子の叫び戸を peutanke という) と叫ぶのである。
    この際の、「神々への誦呪の詞」も「人々への誦呪の詞」もやはり、雅語による節付けの叙事詩が、一句一句、力強く誦呪されるのである。
     ‥‥‥
      Ku-kon rok nishpa!
    hokokse utar orkehe!
    oripak kunip
    ku-ne-hi mashkin
    itak pokaiki
    ku-yai-ko-niukesh
    sekoran yakka,
    teeta puri
    shinrit puri
    iki rok hine
    ko-ar-or-kishne
    ku-ki he tapne,
    iyaikootka,
    a-yai-komorep
    a-kor petior
      我が首領よ!
    方々よ!
    恐懼を
    我がする余り
    物を聞こえ上ぐることも
    出来かぬる
    やうな次第なれど、
    古よりの風習(ならはし)
    先祖の慣習(しきたり)
    にてあれば
    (もだ)して
    あらんこともあたはず、
    (この度の凶事は) 実に遺憾なり、
    今まで、我等恙なからんことを望みし
    我が里川 (額平(ぬかびら)川) の川面
      iki rok awa,
    Wakka-ush kamui
    kamui tunc hi hi
    ko-inne katu
    petior so-ka
    e-uwe-orir-o
    e-uwe-nupetne
    pikan korachi
    a-nukar kunip
    kamui tunchi
    ne wa shiran_
    etakasure
    sakanram orke
    a-e-ko-yaiaptep
    ne rok awa,
      にてありしに、
    水の神の
    配下の神には
    数多ありて
    川水の面に
    互ひに模様を描きては
    喜び睦びあひ
    ゐるかのごとく
    我等には見ゆる
    水の神の眷属の神
    にてあるなり。
    (然るに)余りにも
    その心逸り勇むを
    我等危ぶみ恐れ
    たりしに、
      nep wen kamui
    kar irenka
    aka a kusu
    Wakka-ush kamui
    ior so-kashi
    chi-pa-koatte
    chi-ratush-kore_
    rorumpe ashur
    chi-kor a kotan
    kotan upshor
    e-ashur-oshma.
    ukemnu kunip
    kamui ne rok kur
    tekkisama ta
    ainu otta
      如何なる悪神の
    なせる企みの
    ありしにや
    水の神の
    ()らす川面の上にて
    過ち事ありて
    死者出でたり。
    その凶報
    我等の村 (上貫気別) の
    村中にも
    突如伝へられたり。
    互ひに憐み(いと)しみ合ふものは
    神々なると
    同時に
    (我等)人間同士も
      chione a kusu tap
    chi-kor a kotan
    kotan sermaka
    ko-pase kamui
    chi-shi-turente
    tapan rorumpe
    rorumpe kashi
    chi-koshirepa
    uneno kamui
    u-haita sakno
    u-kewehomshu,
    nehi samata
    okkayo otta
    ekashi mutpe
    kamui ipe-tam
      また同じく
    我等が村の
    村の背後に
    重く鎮まりいます神々にも
    我等とともに
    この凶変の
    凶変の上に
    弔問に駆けつけ
    神々は神々どうし
    手落ちなく
    弔問を交はされ、
    それとともに
    男たちは
    祖翁の佩刀(はきがね)
    神授の宝刀
      heru sak tami
    rorumpe kurka
    a-e-uko-santek
    turpa katu
    ne wa shiran.
    sekoran yakun
    nep wen·kamui
    kar sanniyo
    ne a yakka,
    ekashi mut-tam
    heru sak tami
    ramu-tasarep
    eaikap nankor.
    eepakita
    okkayo otta
      光りなき太刀を
    凶事の上に
    互ひに手にして
    きし伸べたる
    次第なり。
    然らば
    如何なる悪神の
    なせる企み
    なりとても
    祖翁の佩料(はきがね)
    光りなき太刀に
    (よみがへ)ること
    よも能はざるべし。
    次に
    男子(をのこ)らも
      matainu otta
    e.yai.santek or
    rorumpe kuwa
    karkar kane
    rorumpe puri
    a-uko·wairuke
    oka rok a yak
    rorumpe kuwa
    kuwa pen-nish
    tap anakne
    i-wente kamui
    tu-shinish utur
    re·shinish utur
    o.nuinak yakka
    a-chiu-op kunne
      婦人(めのこ)らも
    その手に
    凶事の杖を
    携へて
    凶事のをりの慣習(しきたり)
    我等ならひて
    ここに実行する次第にて
    凶事の杖の
    杖の上端は
    これこそは
    禍神(まがつひ)の(たとへ)
    高雲の間に
    蒼空の間に
    隠れひそむとも
    投げ槍のごとく
      kurkashke
    e·op e·karpe
    sekoran yakun
    ramutasarep
    somo tapan na.
    orwa un sui
    kuwa pan·nish
    okkayo otta
    matainu otta
    horipi tuika
    tu toi·sosh utur
    re toi-sosh utur
    e-ko-shir-otke
    ikeshkep anak
    tu toi-sosh utur
      その上に
    突き刺さる
    ならん、然らば
    命生くる者
    よもあるべしや。
    それよりまた
    凶事の杖の下端は
    男子(をのこ)らも
    婦人(めのこ)たちも
    突き立て躍らせば
    幾重の土層(つちくれ)(あはひ)
    幾重の土の中に
    ぐざと突き立て
    禍ひなす神
    深き土中へ
      re toi-sosh utur
    o-nuinak yakka
    a-chiu-op kunne
    chi -ko-otte-kar
    sekoran yakun
    ramutasarep
    somo-ne nankor,
    pakno ku-itak.
    eepakita
    a-kon nishpapo
    pone okkashi
    chi-e-epiru
    inki-to ta
    kor ikesui
    ani an yakka,
      幾重の土層の間に
    身をひそむるとも
    投げ槍のごとく
    突きささる
    べし、然らば
    命蘇るもの
    よもあらざらん、
    と我が申し述べん。
    次に
    我が涙子(死者)の
    (むくろ)の上を
    祓ひ浄め
    いづれの日にか
    あの世へ旅立つこと
    あらんとも、
      shinrit pirkap
    ekashi pirkap
    eyayoopepep
    oka rok a yak
    oheuke sakno
    shinrit tono
    e-koshirepa
    sekoran kusu
    matainu otta
    moshir-kor haru
    i-resu haru
    okkayo otta
    tono kar tomi (icheni)
    e-yai -otekn ure
    oka rok a yak.
      よき先祖
    よき祖先の
    系統(ちすじ)を引ける者
    にてあれば
    傍道に逸るることなく
    先祖の
    許へ到着し
    得るやう
    婦人(めのこ)らも
    稗その他の食物(をしもの)
    我等の育ての(かて)を(携へ供へ)
    男子らは
    和人の殿の作れる宝(金銭)を
    (香奠(こうでん)として)用意し来りて供へ
    たる次第なり。
      icheni anak
    nep tonoto
    nep aepi
    a-onere yakka
    i-resu haru
    ko-eturenno
    hoshki imek
    hoshki tuki
    Iresu kamui
    yai-komuye,
    imek arkehe
    a-kemnu nupe
    pone okkashi
    a-e-koitomte
    newane yakne,
      この金銭は
    酒や
    食物を
    買ひ調へて
    我等の育ての糧なる稗と
    ともどもに
    その初穂の半ばと
    最初の杯とは
    火の姥神(ばばがみ)
    御手に執られ、
    その馳走の半ばは
    我が悼はしき涙子の
    屍の上に
    懇ろに手向け
    たる次第なれば、
      shinrit orun
    pirka imoka ne
    chi-otek-nure
    nehi tapan na.
    eepakita
    tan pase kotan
    ru-esan kashi
    ko-pase kamui !
    ior sokashi
    patek he tapan,
    nishpa kotan
    kotan epitta
    tan a -kor pet
    petior kurka
    chi-yaikoshinire
      先祖の許へ
    よき土産とするやうに
    我等が調へ供へ
    たる次第なり。
    次に
    この貴き貫気別村の
    川の下口(おりくち)の上に
    重きを置かれ給ふ神よ!
    領有し給ふ川面
    のみにとどまらず
    との貴き村の
    村人ことごとく
    この里川 (額平川) の
    川面の上にて
    (今後) 災難なき
      sekoran kuni
    nehi tapan na.
    wayasap ainu
    ku-ne akusu,
    inampe pishno
    itak epishte
    ku-ki a ruwe
    shomo-ne yakka,
    shinrit puri
    rorumpe puri
    eshikarpano
    newane yakka
    ukewehomshu
    ku-ye hawe tapan na.
    hu ō hoi !
    hu ō hoi !
      やうに (お守り戴きたく)
    かく願ひ奉る次第なり。
    至らざる人間にて
    我があれば
    何事につけても
    適切なる言葉を
    言ひ得る
    ものならざれど、
    先祖の風習(ふりあひ)
    凶事のをりの慣習(しきたり)
    簡単
    ながら
    弔問の辞を
    申し述べし次第なり。
    フオー ホイ!
    フオー ホイ!


    引用文献
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977