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知里真志保『アイヌ語入門』(1956)
pp.118,119
北海道や樺太の地名に「ベツ」や「ナイ」のついたものが多い。
登別〔ノボリベツ〕とか,稚内〔ワッカナイ〕とか。
それらはアイヌ語の pet (ペッ〕やnay〔ナィ〕から来たもので, もともとアイヌ語の「川」を意味する語だったのであるが, その川というものに対する考え方も, 日本人とアイヌとでは決して同じではなかった。
第一, アイヌは川を生き物──自分たちと同様に肉体をもち,性交を行い, 子を産み,親子連れで山野を歩きまわり, 眠りもすれば, 病気もする, また死にもする──というような, まったく人間同様の生物と考えていた。
第二に, 日本人の考え方とは正反対に, アイヌにおいては, 川は海から来て浜へ上陸し, 村のそばを通って, 山へ入って行く生物と考えられていた。
そのことはすでに第3章において詳しく説いたとおりである。
以上のように, 川というものに対する二つの民族の考え方は根本的にくいちがっているのであるから, アイヌ語の nay や pet を「川」という日本語に訳してみたところで, それだけでは不十分なのである。
川というものをアイヌはどのように理解していたかということを明かにするのでなければ, アイヌ語の理解は成り立たないのである。
このように, 語の解釈においては, どういう対象をあらわすかを明かにするだけでなく, その対象をその民族がどのように把握していたかというところまでも明かにすることが必要である。
そのためには, 対象が原語においてどのように表現されているかを注意深く観察しなければならず, さらにそうするためには, 原語の表現はできるだけ大切に取扱われなければならないのである。
地名の解釈においても, 与えられた地名は, それを構成するどんな小さな要素をも無視することのない, いわゆる "一語いやしくもせざる" げんみつな態度が望ましいのである。
永田氏のように, "地名を構成する単語の一つや二つはいつでも無視し","要素の順序はほしいままに並べ変える" というのでは,てんで問題にならない。
ウベナルカナ, そこには真に解釈の名に値する解釈は一つも見いだされないのである。
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