知里真志保の著書に,『アイヌ文学』(元々社, 1955) がある。
しかし,「アイヌ文学」の用語は,間違いである。
用語「文学」に対しては,金田一 京助も一定の距離を置いている:
金田一 京助『アイヌ叙事詩 ユーカラ』(岩波文庫, 1936)
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pp.9,10
文学の起原は、詩だ、散文だ、と喧しく論議せられることであるが、此もアイヌ生活に於て見る限りは、改まった調はすぐに律語に収まり、節附けになって宛然歌の形で表現される。
祝儀・不祝儀の辞令、酋長同志の曾見の挨拶など、そのほか、日々の祈禱の詞もさうであり、炉ばたの昔譚でさへもさう。
況んや神々の長い物語や、祖先の英雄の武勇伝などもみなさうである。
甚しきに至つては裁判事件のやうな騒ぎの論判でさへも雅語で述べられ、吟詠の姿を取るものである。
いはば、実用の談話以外の言語表現は、皆節附きだと云ってよい。
此の事は、意見でも、論議でもなく、ただありのままな目前の事実である。
尤も此等のものをすぐに皆文学と呼ぶことには難点があらう。
否、その最大雄篇である物語歌といへども、或は巌密には、文学と云へないかも知れない。
なぜなら、その内容が常に本当のことと信じて伝承されてゐるからである。
伝承してゐる部落の人々には、それは寧ろ歴史であり、法典でもあり、否聖経でさへもある。
而も決して或る個人の創作とは考へられてゐない。
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実際,「文学」とは,社会の常識・道徳・正義が自分にとって<強制,抑圧>になるタイプの個人──常識・道徳・正義に疎外されるタイプの個人──が,これに抵抗するときの形である。
アイヌ社会からは,このような個人は生じない。
<疎外>は社会の規範と対自的に立つ個人のものであり,そしてアイヌ社会にはこのような個人が出現する契機がそもそも無いからである。
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