アイヌは,存在するものを,神の具現と定める。
この考え方を,アニミズムという。
アイヌの場合,神は人の形をしている。
そして,人と同じ生活をしている。
家に住み,食べ物を食べ,酒を飲む。
岩や川や草木や動物は,神の仮の姿である。
そこで,岩や川や草木や動物と対するときは,神と対するようにしなければならない。
では,どんなふうに。
カムイユカルは,この作法を定め,伝承する役割を担う。
カムイユカル (神謡) の意義・理由は,つぎのものである:
- 「神」を存在者にする
- 「神」を捉える仕方を定める
- 「神」への対し方を定める
「神」を存在者にする方法は,「神」の物語をつくることである。──これの他はない。
こうして,神の物語ができる。
そしてこれが「謡」で語られれば,「神謡」である。
要点:《神 → 神の物語》ではなく,《神の物語 → 神》である。
(この順序,よくよく吟味すべし。)
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久保寺逸彦 (1956), pp.118,119
神謡は、アイヌの信仰・宗教の典拠や、祭神・祭祀の根原・由来を明らかにし、また、日月蝕・海嘯・洪水・飢饉・悪疫等の起因および、これを防止しもしくは免れる方法を説き、あるいは善神と魔神の争闘・征服の跡、善神の人間に対する恩寵・加護・膺懲等について説くものである。
神謡にあらわれる神々は、汎神的な信仰を持つアイヌの神々であるから、我々の考えるいわゆる神とは、およそ懸け離れたものである。
私の採集した神話一四〇篇を見るに、
雷神・天の神・火の女神・家の守護神・狩猟神・水神・風神・疱瘡神・
熊・狼・兎・狐・貉・川獺・
蛇・蝮蛇・蚯蚓・栗鼠・
蟬・蜘蛛・螢・
鯱・鯨・メカジキ・
梟・鷲・雀・懸巣・郭公鳥・嘴細烏・鵜・啄木鳥・鷸・鶴・
舟
等々が主体の神となり、時には
魔神や化け物
のようなものさえ、神として現われている。
それらの汎神的な神々が自ら身の上を述べ歌うのである。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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