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久保寺逸彦 (1956), pp.139,140
狐神 Chironnup-kamui 自叙の神謡
〔Sakehe (囃詞)── Chichi (狐の暗き声の擬声か) を毎句後に插入する。原詩を省略、対訳のみを示す〕
私 (狐自らいう) が川下の村へ行って、立ち聴きしたところ、人間どもは、こんな話をしていた。
「毒のついた魚 surku-ush chep は上に積んで置け、毒のついていない魚 surku-sak chep は下に入れて置けよ」と話していた。
私は、これを聴いたものだから、その夜、人の寝静まった頃、川下の村へ行って、倉の中へ忍び入り、上に置いてある魚は奥へ押しやり、下に積んである魚を食いたいだけ食って、それから、私の家へ逃げ帰って、何食わぬ顔で暮らしていた。
或る晩のことだった。
川上の村へ行って、また、立ち聴きしたところ、人間どもは、こんな話をしている。
「毒のついた魚は下に置け、毒のつかない魚は上に置けよ」と。
それを聴いて、私はしめたとばかり、その夜、人の寝静まった頃、川上の村へ行き、倉の中へ忍び入り、上に置いてある魚をたらふく平らげて、下に置いてある魚は投げ散らし、自分の家に逃け帰って、何食わぬ顔ですましていた。
ところが、多分、人間どもは、毒のある魚を上に置き、毒のない魚を下に入れであったらしく、毒のついた上の魚を私は食ってしまったらしいと気づいた。
今はもう、死のうとして、苦しんでいる。
それゆえ、これからの狐どもよ、人間のところでは、決して盗みをせぬがいいぞ
と、狐の神が自らその身の上を物語った。
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(原詩、六七句、日高・沙流・荷菜、カレピア媼伝承。)
〔注〕
(1) 「毒のついた魚」surku-ush chep の surku は、トリカブト (ブシ) の根からとったアルカロイド性の毒を塗った干魚。
(2) この神謡は、狐の神の自叙で、人間の狭智に敵し難いことを、その眷属に諭す筋であるが、その目的とするところは、人間の子に、如何にして狡獪なる狐を却けるかということを教訓するところにあろう。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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