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高倉新一郎 (1974 ), p.260
‥‥ 神のより代すわなち巫者の口を通じて語られる一人称の形をとり、荘重な韻をふくみ、短い節ごとに神の叫び声が入り、いかにも神自体が語っているかのように語られた最後に「‥‥と〇〇 (神の名) がいった」という形式で語られる ‥‥
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久保寺逸彦 (1956), p.119
神話の叙述は、
雅語をもって、「我何とせり」というふうに、第一人称叙述をしていき、
結末は、日常語 (口語) をもって、
「‥‥‥と何神が自ら物語った。
sekor okaipe kamui isoitak ruwe-ne;
kamui yaieyukar.」
とか、
「だから、これらの人間はそうせよ。
tane oka ainu utar, neno iki yan.」
とか、いうような言葉つきで終わることが多い。
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同上, pp.119,120
英雄詞曲 yukar も同じく、雅語を用いるが、第一人称の形が異なる。
日高・沙流で私の採集したものは、ほとんど、英雄詞曲と同一の人称法をとっているが、これは、後世の混同であって、幌別・近文・美幌・芽室あるいは樺太等の神謡のように、詞曲とは違った第一人称形を用いるのが古格であろう。
知里氏は、神謡と英雄詞曲の人称法について、
「第一人称を、神話では
chi〔われが、われらが、われの、われらの〕
as〔向上〕
un〔われを、われらを〕
等で表わすのに対して、英雄詞曲では
a〔われが、われらが、われの、われらの〕
an〔向上〕
i〔われを、われらを〕
等であらわす」
といわれ、次の例をあげて、神謡と英雄詞曲との形を対照されている。
(1) 神謡
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amset kashi,
chi-e-horari,
kepushpe-nuye,
shirka-nuye,
chi-ko-kip-shir-echiu,
neampe patek,
monraike ne,
chi-ki kane,
okai-ash.
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高床の上、
我そこに坐り、
鞘彫り、
鞘刻み、
我それに没頭し、
それのみを、
仕事に、
我なしつつ、
我暮らせり。
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(2) 英雄詞曲
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amset kashi,
a-e-horari,
kepushpe-nuye,
shirka-nuye,
a-ko-kip-shir-echiu,
neampe patek,
monraike ne,
a-ki kane,
okai-an.
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(同上)
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(「アイ芦の神謡」参照)
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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