Up 縁起物語──現前 presence の説明 作成: 2019-01-22
更新: 2019-01-23


    アイヌの世界認識はアニミズム──汎神を以て世界を解釈──である。
    現前の説明は,「神のある仕業がもとでこうなっている」の形につくられる。

    この縁起物語が詞曲になったものは,「カムイ・ユカル (神謡)」に分類されることになる。


    例.「穂切りの貝」の由来を物語るカムイ・ユカル:
   知里幸惠 (1923) から:
  沼貝が自ら歌った謡「トヌペカ ランラン」
トヌペカ ランラン
強烈な日光に私の居る所も
乾いてしまって今にも私は死にそうです.
「誰か,水を飲ませて下すって
助けて下さればいい.水よ水よ」と私たちが泣き叫んで
いますと,ずーっと浜の方から一人の女が
籠を背負って来ています.
私たちは泣いていますと,私たちの傍を通り
私たちを見ると,
「おかしな沼貝,悪い沼貝,何を泣いて
うるさい事さわいでいるのだろう.」と言って
私たちを踏みつけ,足先にかけ飛ばし,貝殻と共につぶして
ずーっと山へ行ってしまいました.
「おお痛,苦しい,水よ水よ.」と泣き叫んで
いると,ずっと浜の方からまた一人の女が
籠を背負って来ています.私たちは
「誰か私たちに水を飲ませて助けて下さるといい,
おお痛,おお苦しい,水よ水よ.」と叫び泣きました
すると,娘さんは,神の様な美しい気高い様子で
私の側へ来て私たちを見ると,
「まあかわいそうに,大へん暑くて沼貝たちの
寝床も乾いてしまって水を欲しがって
いるのだね,どうしたのでしょう
何だか踏みつけられでもした様だが……」と言いつつ
私たちみんなを拾い集めて蕗の葉に
入れて,きれいな湖に入れてくれました.
清い冷水でスッカリ元気を恢復し
大へん丈夫になりました.そこで始めて
かの女たちの気性を探って
見ると,先に来て,私を踏みつぶした
にくらしい女,わるい女はサマユンクルの
妹で,私たちを憫み
助けて下さった若い娘さんしとやかな方
は,オキキリムイの妹なのでありました.
サマユンクルの妹はにくらしいので
その粟畑を枯らしてしまい,オキキリムイの
妹のその粟畑をばよく実らせました.
その年に,オキキリムイの妹は大そう多く収穫をしました.
私の故為せいでそうなった事を知って
沼貝の殻で粟の穂を摘みました.
それから,毎年,人間の女たちは
栗の穂を摘む時は沼貝の殻を使う様になったのです.

  と,一つの沼貝が物語りました.


    引用文献
    • 知里幸恵 (1923) :『アイヌ神謡集』, 郷土研究社, 1923
      • 岩波書店 (岩波文庫), 1978
      • 青空文庫 (http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html)