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久保寺逸彦 (1956), pp.144-148
聖伝 Oina の一例として、次にあげるのは、原詩三〇〇行もある長大なもので、sakehe として〔hei inou〕を句頭に繰り返すものである。
これは、アイヌラックルが巨魔神を討ずることを内容とするものであるが、そのうち、人文神の育ての姉が、人文神の出自を物語り聞かせる部分を抜いて、対訳のみを示すことにする ‥‥‥
「 |
その昔
そのかみ
国造りの大神 Kotan-kar kamui
村造りし給はんと
国造りし給はんとて
この人間の国土へ
天降り給ひぬ
しかして
村を造り了へ
国を造り了へ給ひぬ
さてその後に
これなる我が里山は
その名はオプタテシケ (大雪山) てふ
かの神岳にてあるなり
かの神岳の山嶺より
神雲の空に
国造りの大神
昇天し給へり。
その時
春楡 Chikisani の柄にすげたる鍬もて
国造り
村造りし了へ給ひたれど
その鍬の柄をオプタテシケの
神の御岳の
山頂に
置き忘れて
昇天し給ひぬ。
いみじき大神の
手づから造り給ひしもの
空しく地とともに朽ち果てんこと
あまりにも勿体なければ
そは
小さき春楡の樹となりて生ひ出でぬ
さる程に
天つ空より
神々たち
国見をせんと
天降りては
雲居の空へ
帰り給ひつつ
国土の美しさを
歎賞して帰り行くを
疱瘡神 Pa-kor kamui
聞き聴きしてありたり。
その故に
(彼の神)、我も国見をせんと
村見をせんと
天降りぬ
されど
天降り見れば
草とても一つだになし
立樹とて一幹もなし
その上に腰を下ろして
村見をすべき
国見をすべき
場所とてもなし
それよりして
国伝ひに歩み給ひて
オプタテシケ
の神の御岳の
御岳の頂に
到り着き給ひぬ。
見渡せば
オプタテシケの神の御岳の
山裾に
小さき春楡の木
生ひ出でてありぬ
樹とては
ただこの一幹のみなりければ
その上に腰を下ろして憩ひぬ
それより
国見し
村見をなして
人間界の美しさに
驚嘆しつつ
彼の神
思ひ運らせる様はかくありけり──
人間世界の美しさを
神々たち
讃美せしだけありて
さても
その美しきことかな
──と。
かくて
彼の神
天つ空へ
昇り去りぬ
その後
かの小さき春楡の樹
その上に
いと重き疱瘡神の
休み給へることなれば
その跡
空しく地に落つることも
畏ければ
ついに妊娠りて
子生れ出でぬ
それよりして
小さき春楡の樹は
我が子とともに打ち揺られて
風起ち来れば
オプタテシケの神の御岳の
山の裾に
己が子もろとも打ち揺られ
夜も昼も
その子もろとも揺り動かされてばかり
ありたりしが
ある一日
小さき春楡の木は
抱きてありし子を
オプタテシケの
神の御岳の
山の頂に
振り上げつつ
その途端
言へることかくありけり──
『/悩ましきかな
わづらはしきかな
南の方より風吹けば
オプタテシケの
神の御岳の
山の東に
我が子もろとも打ち揺られ
北より
風吹き来れば
神の御岳の
山の西に
我が子もろとも打ち揺られ
悩ましきことかな
オプタテシケの
神の御岳を
守り領らさんため
天つ空より
天降されし神
いますはずなれば
我が子を
保護し育ててたまはれかし』
──/といひつつ
山の頂に (春楡自ら梢の上より) 投げ上げぬ。
妾 (人文神の養姉自らをいう) こそ
オプタテシケの
神の御岳を
領らし守るため
天つ国より
天降らされし神
にてあるものなり
さる程に
あたかもその時
汝が若君の投げられし故に
妾手に抱き受けて
その時より今に至るまで
鄭重に養ひ
斎きかしづき
仕へ奉りてあるなりけり。
‥‥‥」
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この長大な叙事詩‥‥‥を三段に分かって、大筋を示すことにする。
〔第一段〕人文神が、養姉に、鄭重に養育せられて、ただ独り、静かに、壮麗な山城に成長し、やがて、養姉の物語によって、自らの尊貴なる出自を知り、さらに、人間界を奪わんとする大魔神を討つベく、善神たちへの応援に赴くこと。
〔第二段〕大魔神と悪戦苦闘したあげく、辛うじて、これを屠り得たが、諸斃れとなって、意識を失ってしまう。
そして、その魂魄のみが肉体を遊離して、目覚めて見れば、樽前山の麓のとある立樹の枝の上に、手をだらり、足をぶらりとさせて引っ掛かっていた。
そして、我が目の下には、いずれの郷の者であろう、髯も未だ黒み渡っていない若者の屍が横たわり、その体の上には、二重の明光、三重の明光が差し映えているのが見える。
自らの屍とも知らず、可哀想な者だなと愛憐の情を催す。
〔第三段〕肉体から遊離した人文神の霊魂は、それより諸方を漂泊し、至るところの神々より贖物を出されて、人間界へ帰るように懇願されたが、聴き入れずして人間界を去り、ひたすら、空への道を辿る。
霞の橋を渡り、星居の空を通り、霞居の空を抜け、蒼天の空に到ったが、ついに、犬に追われて、霊魂のこととて恐怖のあまり、下界へ逃避して、再び、樽前山の麓に生ずる立樹の下なる旧の屍体に入ると、やがて、夢ともなく、現ともなく、人声が聞こえて来るので、意識を取り戻すと、先に犬と見て恐怖したのは、実は、天つ国なる狼神の妹神の、うら若い美少女で、我を人界に帰らしめ、我に妻として侍くべく、遣わされたものであったことを知る。
ついに、その美少女のすぐれた巫術 (Tusu) の力によって全く蘇生し、負傷も癒え、相携えて我が育った山城へ帰り来り、養姉と妻と我と三人、睦まじく暮らすという筋で終わる。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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