Up ユーカラの席 作成: 2017-01-01
更新: 2019-01-16


      菅江真澄 (1791), pp.551-555.
    夜さりになれば、アヰノどもの来つゝ音曲(ユウガリ)をかたる。
    そのさまを見れば煙草匣(たばこけ)を枕として、のけざまになりて、(ハリキ)(けま)を延べて(シモン)(すね)を左の股にのせて、左の手して(ヌカ)をおさへ、あるはかざし、右の手をもて胸を敲き、あるは(たゝむき)をして脅腹をうち叩き、獣のうなるやうにたゞ、ううと唄ふやうなれど、
    この事や面白かりけん、聞つつ居ならびたるアヰノども、烟管(きせる)()したる一尺(ひとさか)にあまる細き木して、おしきの底、板じきなどをうち鳴らして、ほうし(拍子)とり、ハオハオとこゑをそろへて、あまたのアヰノがはやしぬ。
     ‥‥
    音曲(ユウガリ)、あるは使者(シヨンゴ)(イタク)、あるはチヤアラゲのイタクとて詞正しうものいひ、 のとき、話るときには、ふるき訳辞(わさと)も耳遠き言葉のみあまたにて、聞うることあたはぬすぢすぢ多ければ、かくぞ解き聞えたる。
     ‥‥
    これを外面に立聞しつるメノコども涙やこぼしけむ、アツシの袖に(ナノ)ふたぎ、(シキ)をすりてたゝずむが、夕月夜の光にてよくも見やられたり。
     ‥‥
    ユウカリしたるアヰノもおきあがり、あるじ酒出しぬれば、れいのふりに飲つつ、更てヲマンとて去る。


      高倉新一郎 (1974 ), p.259
    以前、語り手は仰向けに寝て、左腕で目を覆い、右手で腹を打ちつつ語ったが、後には炉辺に正座して語り、
    聞き手は炉を囲んで、木片で炉縁を打って拍子をとりながら要所でかけ声をかけて声援した。
    文章は古語で、
    節を切り、句調を整え、場面によって緩急があり、抑揚があるが、
    聞き手は主人公の悲運に泣き、勇気に向かっては声援をする。
    話は何段にもわかれていて、一つの物語に夜を撤することさえあった。


      久保寺逸彦 (1956), p.169
    「ユーカラ」は、かくも厖大なる叙事詩なるがゆえに、これを諷詠吟誦するにしても、長い冬の比較的無聊(むりょう)閑散の折りなどに、宵早くから、炉辺で歌い始めても、夜が白々と明け放たれても、まだ終わらないようなことも珍しくない。

      同上, p.170
    「ユーカラ」を演奏する時、
    昔は、演奏者は、炉端に仰臥して、右手で胸を叩きつつ、演奏したこともあったが (例えば 1799(寛政11)年の谷元旦の『蝦夷紀行』中の插図には、蝦夷が仰臥して右手を額にあて、左手で腹を打ちながら、ユーカラを歌っているのがある)、
    今日では、演奏者は、手に、四、五寸の棒 rep-ni を持ち、炉縁を打ち叩き打ち叩き、拍子を取りながら吟誦する。
    それを聴く人々も、手に手に棒を取って、炉縁や(ゆか)を叩き、時々、口々に「ヘッヘッ」と囃し (これを hetche という) ながら聴く。

      同上, p.171
    「神謡」の演奏と同様、概して、
    長い句は早口に、短い句は長くゆっくりと引っぱり、調子を整えて吟誦する‥‥‥

 谷元旦 (?)



    引用文献
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
    • 谷元旦 (?) :『蝦夷紀行附図』