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久保寺逸彦 (1956), pp.189-191
Shisam-uwepeker, Sam-uwepeker, Tono-uwepeker (和人の昔話)
これも、常に、第三人称叙述の形式をとる。
例えば、
Pisun machiya kot tono an, kimun machiya kot tono an,
「浜の町屋を治める旦那と山の町屋を治める旦那とがいた」
というような形式をとる。
この種の昔話には、‥‥‥日本語がたくさん中に織り込まれている‥‥‥
Hatango tono an hine shiran,
nishpa ne tono ne wa,
ashur-ash kor an kur ne an ruwene,
shine matnepo kor ne oka ruwe-ne aike,
shinean-to ta tapeto-tono ek hine,
nea hatango tono orta yanto-ne ruwe-ne.
‥‥‥ アンダー・ラインの部分はみな、日本語である。
旅籠屋の旦那があったが、
大金持ちで評判が高い人だったと。
一人の娘を持っていたが、
或る日のこと、
反物行商人 (アイヌ語で tapeto-tono「旅人殿」の訛り)
が来て、その旅籠屋に、宿をとったさ。‥‥‥
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‥‥‥おそらく、内地の説話のあるものが、往時、蝦夷地に入り込んだ和人の口からアイヌに伝えられたり、あるいは奥州に交易に行ったアイヌがそれを将来したりして、多少原型を歪ませたり、アイヌ化を行なったのであろうけれども、丹念に語り伝えているのは、興味深いことと言わねばならない。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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